火曜会相談所設立
戦後荒廃した国土を憂えて集まっていた多士良ら技術者のもとに、1948年1月、無二の親友レーモンド氏から1通の手紙が届きました。「私は日本に深い愛着があります。聞けば、日本はいま非常に困っているそうですが、私らの力でできることがあったら是非協力したいと思います。何をして欲しいかそちらの事情を知らせてください。」多士良らは次のような返事をレーモンド氏に送りました。「エンジニアとしていま日本のために、やらねばならぬことは二つあります。ひとつは、電力が極端に不足しているので電力を開発することであり、もう一つは石炭の増産です。」
1948年秋に来日したレーモンド氏に多士良らの只見川ダム開発構想を伝えたところ、大いに賛同を得、この企画の進展には権威ある米国人のコンサルティング・エンジニアによる調査と報告書が必要であるとの勧告でした。翌1949年6月にはレーモンド氏から、ウエスティングハウス・インターナショナル社のエリック・フロア氏が来日すると連絡がありました。
フロア氏の来日を前に、多士良らは1949年7月1日に、対外活動をするためのグループ組織名称を「火曜会相談所」と命名しました。この火曜会相談所は、丸ビルの白石基礎本社の424号室に設置され、後のパシフィックコンサルタンツ株式会社の設立母胎となった組織です。
レーモンド氏は1949年10月にフロア氏と共に来日し、11月上旬に平山復二郎、白石宗城、吹原弥生三、河野康雄とともに只見川現地調査に向かいます。
(『白石多士良略伝』白石俊多著 多士不動産刊より作成)


