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事業内容/実績荒川横断橋梁建設プロジェクト

荒川横断橋梁建設プロジェクト
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超難題をクリアして、荒川に橋を架けよ。

水のある風景は、人々に和みをもたらす。海辺や河畔に住みたいと願う人々が多いのも、そのためなのだろう。しかし人々の気持ちを安穏とさせる河も、交通という都市機能の上では時に厄介な存在となる。東京・荒川。埼玉県に源を発し、東京東部を南北に巡る、古くから都民に親しまれてきた川だ。
下流付近は江東区と江戸川区の境界を流れ、東京と千葉を結ぶ交通の要所となっている。
しかし、多大な交通量に比して橋の本数は少なく、付近は慢性的な渋滞に悩まされていた。
そこで、下流にもう一本新しく橋梁を建設し、人や物の流れを円滑にするとともに、周辺地域の自動車交通の分散を図るべく進められたのが「放射第16号線 荒川横断橋梁整備事業」だ。
このプロジェクトの道路・橋梁部分の基本・詳細設計を一手に担っているのがパシフィックコンサルタンツ。
そしてこの「荒川横断橋梁整備事業」は、実は非常に厳しい条件の中で行わなければならない、大変な難工事であったのだ。

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求められたのは、至難の業。

ご存知の通り、東京には都市を機能させる有力な交通手段として、地下鉄が縦横無尽に張り巡らされている。その主要路線のひとつに、東京・中野と千葉・西船橋を東西に結ぶ「営団地下鉄東西線」がある。「荒川横断橋梁」は、放射第16号線がこの地下鉄東西線と並行して走っていることもあり、東西線の荒川橋と隣接する形で計画された。地下鉄の鉄橋のすぐ隣に、新しい橋を造らなければならないのだ。1987年の調査開始よりプロジェクトの中心になって作業を進めている松田一史は語る。「橋を建設する上で、地下鉄への影響を最小限に食い止めること。それが至上命題でした。もちろん、橋を造るからといって地下鉄を止めるわけにはいかない。そして、たとえば橋の基礎工事の際、地下鉄の橋梁が傾くようなことでもあれば、大惨事にもつながりかねませんから......。」プロジェクトは、まず橋の形式を選定することから始まった。河川の中に構造物を造れば、当然、流体系が変化する。川の流れを大きく阻害すれば、周辺や下流域にも悪影響を及ぼすことにもなる。それを回避するために、橋脚のスパンはできるだけ離すことに。東西線鉄橋の橋脚は9つ設けられていたのに対し、荒川横断橋はわずか4つの橋脚で建設することとなった。そして東西線鉄橋がトラス形式であったのに対し、荒川横断橋は橋脚が少ないこともあり、橋脚上の主塔からケーブルで橋を支える「斜張橋」を採用。 複雑な条件の中、設計は難航が予想された......。

50分1でシミュレーション。

筑波実験場での模型を使った水理実験
筑波実験場での模型を使った水理実験

地下鉄構造物と河川の流れ、両方に悪影響を与えないという課題を解決するために、松田らはあるプランを練った。「橋脚の基礎には『鋼管矢板井筒基礎』を採用しました。これは直径1.2m、長さ45mの鋼管を円筒状にジョイントさせて、橋脚の基礎を造ろうというもの。その際、基礎の天端をできるだけ浅くしたい、と考えたのです。通常は、河川の流れにより河床が洗掘されるので、その影響が基礎に及ばないよう、天端はなるべく深く設置するのがセオリーです。このケースでも、国土交通省の規定では深さA.P.-13mの地点にコンクリートの天端を設置しなければならない。

橋脚基礎部の構造
橋脚基礎部の構造

それをもっと上げられないかと。天端が川底に近ければ近いほど構造的に有利になりますし、施工も容易。隣の地下鉄への影響も小さい。そこで、その規定を覆すために、どのぐらいまで天端を上げることが可能か、実証しようと試みたのです。」
実験の舞台は、パシフィックコンサルタンツの「筑波実験場(当時名称)」。業界でも最大規模を誇る水理実験場だ。河川部のスタッフに依頼し、50分の1のスケールで荒川を再現。そして構造物の模型を製作し、現場と同じ現象が起こるように土砂の粒径や水量・水位を相似比率で設定、実際に水を流して橋脚付近のデータを計測していった。「実験の結果、A.P.-8.5mまで天端を上げることが可能だと。そこで、国土交通省と折衝して私たちの設計を承認していただいたのです。」(松田)

自分で考えたことが形になる。壮大な仕事。

松田一史

橋の形状についても、実験が重ねられた。「斜張橋」は構造的に風に弱い。そこで、横浜国立大学の研究室の協力を仰ぎ、こちらも50分の1のスケールで橋の模型を製作して風洞実験を行った。幾多のトライアルの結果、歩道端の高欄の外側に翼のようなものを設けることで、振動が起きにくい桁の形状を導き出した。設計作業を振り返って松田はこう語る。「やはり工法の検討がいちばん苦労しましたね。とにかく条件が厳しかった。私たちの設計で本当に大丈夫なのか、コンピュータ上で東西線と荒川橋を再現して、FEM解析と呼ばれる手法で、メッシュを切ってそれぞれの部分部分で綿密に解析していきました。設計計算書はダンボール10個分ぐらいのボリュームがあったと思います。その甲斐あってか、発注者はもとより地下鉄を運営する営団からも『これなら大丈夫だろう』と評価もいただきました。 地下鉄の変位を常に計測しながら工事を進めたのですが、影響はまったくないようです。」松田の仕事は橋脚部分の設計を終えると、橋と放射16号線を結ぶ道路部分の設計に移った。今度は道路部と連携してのプロジェクトだ。建設予定地は埋立地であり、地震時の液状化対策など、こちらもクリアしなければならない課題は多い。橋は2001年に完成した。「自分の考えたものが、ひとつひとつ形になっていく。そしてそれが、最終的には巨大な構造物になる。壮大な仕事です。技術者にとって、これ以上の醍醐味はないと思いますね。」