2016年4月に発生した熊本地震は、震度7の揺れが28時間以内に2回発生するという観測史上例を見ないものだった。震源に近い熊本県の西原村は甚大な被害を受けた。パシフィックコンサルタンツは、西原村が取り組む災害復興事業に早くから関わり、特に6集落の再生事業について、宅地の耐震化とまちづくりの両面から支援を続けた。中心で業務にあたった国土基盤事業本部 地盤技術部 地盤防災室の金子俊一朗と九州本社 社会イノベーション事業部 総合プロジェクト室の山口泰斗が取り組みを振り返った。
2016年熊本地震による西原村の被害の概要
出典:西原村移住定住サイト
西原村は熊本県中心部の熊本市の東、約20㎞に位置する人口約7,000人の村。東部には阿蘇外輪山の一部である俵山を中心に広大な原野と山林が広がる。2016年4月14日と16日の地震では震度6弱と震度7の揺れに見舞われ、死者5名、関連死4名のほか、家屋の全壊512棟、大規模半壊201棟、半壊664棟、り災判定調査を行った家屋の約56%が半壊以上の被害を受けた。(数字は2023年4月時点)。
<前震> 4月14日21時26分頃 震源の深さ11km 規模マグニチュード6.5
震度7:益城町 震度6弱:熊本市東区、熊本市西区、熊本市南区、西原村 他
<本震> 4月16日1時25分頃 震源の深さ12km 規模マグニチュード7.3
震度7:益城町、西原村
INDEX
- 断層帯の上に位置していた6集落
- 国の補助事業の活用可能性を探る
- 滑動崩落防止事業を使って宅地を耐震化
- 集落の復興の在り方を検討
- 詳細設計を進め、住民説明会を開く
- 地域づくり先進地への視察ツアーも実施
- 震災前に比べ西原村の人口は増加
断層帯の上に位置していた6集落
熊本地震の地震活動領域には、近接して2つの断層帯―布田川断層帯と日奈久断層帯―が存在していた。国の地震調査委員会は、M6.5の前震は日奈久断層帯、M7.3の本震は布田川断層帯の活動によるものと分析した。西原村は布田川断層帯に近いことから激しい揺れに見舞われ、道路の陥没や地割れ、土砂崩れなども多数発生、村内の家屋の約23%が全壊、半壊以上も約56%に上り、特に断層帯に沿って並ぶ古閑、大切畑、畑・風当、下小森、上布田、下布田の6集落は壊滅的ともいえる被害を受けた。

西原村提供

復旧・復興の取り組みはすぐに始まり、国からはリエゾン(情報連絡員)やテック・フォース(緊急災害対策派遣隊)、自衛隊が支援に入った。さらに東日本大震災の被災地である東松島市や石巻市、名取市、涌谷町から派遣された延べ数十名の職員が初動対応の組織づくりや廃棄物の処理についてアドバイスを行い、住宅被害調査の実施についても支援を行った。
国の補助事業の活用可能性を探る
パシフィックコンサルタンツも発災直後から支援業務に取り組んだ。まず現地に向かったのは国土基盤事業本部の地盤技術部だった。西原村では築年数が40 年を超えた旧耐震基準の木造住宅が多かったことに加え、激しい揺れにより擁壁が崩れたり、地盤沈下や段差、陥没などが多数発生したりしたことから家屋の被害も大きかった。復興にあたっても、地盤の滑動崩落防止、擁壁の復旧・整備が欠かせない。地盤技術部は5月には熊本現地に復興事務所を立ち上げ、北海道・東北・東京・大阪・九州から技術者が集まった。金子もそのひとりだ。「5月のゴールデンウィーク中には現地に入りました。まだ倒壊した住宅も残されているような状況でしたが、地盤や擁壁の調査は急がなければなりません。どのように崩れていて、復旧はできるのか。できるとすれば具体的にどう直すのか、まずこうした調査が必要であることは東日本大震災の経験でわかっていました。自治体も取り組みを始めていましたが、調査対象が多く技術者が足りません。西原村以外の市町村も含めて、まずそのお手伝いを始めました」と金子。
地盤技術部の取り組みに続き当社は西原村の集落再生事業に本格的に関わっていく。総合プロジェクト室の山口が当初の取り組みを振り返る。
「被害は甚大で復興は数年を単位とした取り組みになります。しかし東日本大震災のときのような復興交付金や特別税制が組まれたわけではありません。既存の国の補助事業・制度を活用しながら取り組んでいく必要がありました。具体的には『大規模盛土造成地滑動崩落防止事業』と『小規模住宅地区改良事業』の2つが使える見込みになりましたが、補助要件を満たすように復旧対象箇所を2つの事業に振り分けることが必要でした。私たちがもっているさまざまな要素技術や知見を活かして、国の支援を最大限受けられるよう、事業を振り分けて補助申請の検討を進めました」
滑動崩落防止事業を使って宅地を耐震化
「大規模盛土造成地滑動崩落防止事業」は宅地の整備に国が補助を出すもので、一定の条件を満たせば、復旧費用の一部を国が交付するものだ。金子が説明する。

出典:大規模盛土造成地滑動崩落防止事業(国土交通省)
「道路などと異なり宅地は私有地ですから、本来、整備に国費が投入されることはありません。しかし、甚大な被害が発生し、個人の負担ではとても修復できません。再度の被害防止を図るためにも、国が支援するという制度です。発災直後から基礎的な調査は進めていたので、それをもとに詳細な申請書類を作成しました。この申請が通り、予算の目途が立つことによって、はじめて修復に向けた具体的な調査・設計業務に着手することができます」
しかし、申請を終えて着手した滑動崩落防止工事の設計は簡単ではなかった。「西原村の土壌は過去の阿蘇の噴火により堆積した火山灰土が中心です。火山灰土は雨に弱く、揺すられると強度が低下するという性質があります。まず室内試験であえて揺すって強度を低下させ、その時のデータを使ってどの程度の土壌改良が必要か、細かく検討しながら設計するということを行いました」と金子。
集落の復興の在り方を検討
滑動崩落防止事業の推進と並んで、小規模住宅地区改良事業への取り組みを進めた。

この事業は国が不良住宅(構造や設備が整わず居住することが不適当な住宅。災害により著しく損壊した住宅も該当)の除却、改良住宅の整備、道路や公園等の公共施設整備や用地取得などの費用を支援するものだ。これが全壊や半壊した家を取り除きながら、道路や公共施設を含めて新たなまちをつくっていく取り組みの大きな力になる。
総合プロジェクト室のチームの一員で、全体のマネジメントも担った山口が振り返る。
「私たちはまず各地区で住民懇談会を開催して、住民の皆さんが集落をどのように復興させたいと考えているか、話を聞くところからスタートしました。住宅を再建する宅地をどう整備するか、擁壁はどこを直すかということに始まり、道路を広くしたい、集会所を再建し、隣に公園も整備したい、といった住民の皆さんのさまざまな意向を伺い、地区ごとに3回、4回と話し合いを重ね、半年くらいをかけて復興まちづくりの計画をまとめました。単に被災前の状態に戻すのではなく、より安全で暮らしやすいまちにするという『 Build Back Better(ビルド・バック・ベター)』の考えかたが基本です。これは、東日本大震災後に取り決められた仙台防災枠組として国際的な指針にもなっていますが、西原村でも創造的な復興をしていこうということを確認しながら計画づくりを進めました」

詳細設計を進め、住民説明会を開く
擁壁を含む宅地整備と小規模住宅地区改良についての補助申請を終えると、それぞれの詳細設計に進み、住民説明会や地権者への個別説明も行った。地区全体としての計画では合意していても、詳細設計に落し込む段になればいろいろな意見も出る。山口が言う。
「例えば道路を広げるということは、その分の土地を提供していただき、村がそれを買い取るということです。しかし、先祖代々の土地を一部でも手放すことには抵抗があるという人もいました。みんなで協力してより良い集落にしようという方向で、丁寧な話し合いを進めました。また擁壁についても、敷地のここに家を建てたいから、乗り入れ口はここがいいとか、もう少し擁壁の位置をずらせないか、という要望が出ました。可能な範囲で設計に反映していきましたが、これができたのは地盤技術者とまちづくりの技術者が連携し、ハードとソフト一体で詳細設計の詰めをしていたからだと思います。総合コンサルタントとしての強みが活かせました」
地域づくり先進地への視察ツアーも実施
元気なむらへの視察ツアーも実施した
さらに山口は、詳細設計が進むなか、地域づくり先進地への視察を企画した。参加者も多く、好評だったという。
「2005年の福岡県西方沖地震で壊滅的な被害を受けながら3年で全島民帰島を実現した福岡市の玄界島、農家民泊や移住促進の取り組みを進めている福岡県上毛町、中山間地域に若い世代が移住し取り組みをしている熊本県五木村などを視察するツアーを企画しました。皆さん積極的に参加され『こういうことは西原村でもできそうだ』など、いろいろな地域づくりのヒントを得ることもできました。ともすれば被災後で暗い話題が多いなか、自分たちも頑張っていこうと元気を出していただくきっかけにもなったと思います」
また、詳細設計と並行して各集落の復旧・復興の歩みをまとめた記録集や集落紹介冊子、「集落再生だより」(毎月)などを、各集落の住民とともに作成。さらに集落の年間活動の発表会をかねて復興後の地域づくりについて勉強会も開催した。
Build Back Betterは、ハード面だけで実現できるものではなく、住民自身の「こういうまちにしていこう」という想いが欠かせない。その意味でも、冊子の作成、視察や勉強会の開催は大きな意義をもつものになった。

震災前に比べ西原村の人口は増加
西原村6集落の再生事業は、発災から2年後の2018年には滑動崩落防止事業、小規模住宅地区改良事業のいずれについても詳細設計を終えて順次着工、2021年3月末には宅地整備やインフラ整備などの「集落再生事業」はすべて完了した。金子はこう振り返る。
「時間の余裕がなく、業務量も非常に多くて大変ではありましたが、血の通った仕事だったと思います。決められた仕様があってそのとおりにというのではありません。整理しきれないたくさんの課題があるなかで、その一つひとつに対応し、住民のみなさんから見ても最適解といえるものを見つけなければなりませんでした。それがある程度できたという実感があり、非常に充実した仕事でした」
まちづくりに関する計画や設計を中心に、全体のマネジメントにも携わった山口も、取り組みをこう振り返る。
「震災復興業務は被災地の多様なニーズに応じてさまざまな要素技術やハード・ソフトの取り組みを組み合わせ、創造的な復興へとつなげていかなければなりません。その意味で、総合コンサルタントとしての私たちの強みが発揮できたと思います。私個人としても住民一人ひとりとお話をしながら、どうすれば一番みなさんのために良いのかを考え、自分の専門を超え、マネジメントも含めてチャレンジする機会になりました。土木はシビルエンジニアリングであり、市民のための技術だといわれています。まさにその価値を改めて教えてくれた業務です。この学びを今後に活かしたいと思います」
2026年は熊本地震から10年の節目の年となった。西原村の地震発生前の2016年3月末の人口は7,040人だったが、いったん大きく減ったものの、2025年1月1日時点で7,073人となり震災前を上回った。また、月刊誌『田舎暮らしの本』(宝島社)が毎年実施している「住みたい田舎ベストランキング」の2025年版で、西原村は全国第8位にランクインしている。震災復興をきっかけにした宅地の耐震化とまちづくりが、その後、「暮らしやすさで選ばれる西原村」につながっている。

出典:『広報西原』(2025年4月No.299)