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南三陸町「中橋」の設計

町の風景を引き立て人々に愛される 震災復興のシンボルとしての人道橋

宮城県南三陸町の八幡川にかけられた中橋は、新市街地に整備された道の駅「さんさん南三陸」と川を挟んで対岸につくられた震災復興祈念公園をつなぐ人道橋として計画された。設計を担ったのはパシフィックコンサルタンツと隈研吾建築都市設計事務所のJV。隈事務所のイメージパースをもとに、パシフィックコンサルタンツが繊細な意匠と構造安全性を高いレベルで両立させ、町の復興のシンボルにふさわしい橋として設計とデザインを担当。2020年に竣工した中橋は、同年の土木学会田中賞を受賞している。管理技術者として設計業務を中心で担った交通基盤事業本部 構造部の齊藤展生に話を聞いた。

INDEX

完成した中橋

復興のシンボルの一つとして計画された中橋

保存された旧防災対策庁舎と中橋

保存された旧防災対策庁舎と中橋

宮城県北東部に位置し、志津川湾を囲むリアス式海岸ならではの美しい景観で知られる南三陸町は、東日本大震災の巨大津波により、死者620人(震災関連死を含む)、行方不明者211人、全壊した住宅3,143棟など未曾有の被害に見舞われた。 町役場をはじめ、防災対策庁舎、警察署、消防署、病院なども被災。防災対策庁舎では屋上の床をさらに2mも上回る高さまで津波が押し寄せ、避難していた人を含め、この庁舎だけで43人もの職員・町民が犠牲になった。最後まで放送室に残り、無線で津波の来襲と避難を呼びかけ続け、犠牲となった若い職員のことを記憶する人も多い。

大津波により壊滅状態となった町の復旧・復興は困難を極めたが、新たに嵩上げされた土地に「南三陸さんさん商店街」や震災伝承施設「南三陸311メモリアル」、観光交流施設「南三陸ポータルセンター」、さらにJR志津川駅が一体となった複合施設、道の駅「さんさん南三陸」が2017年に完成。その後、八幡川を挟んだ対岸に、震災遺構として鉄骨の骨組みの状態で保存された旧防災対策庁舎を含む震災復興祈念公園が整備された。

※ 出典:東日本大震災における被害状況 2022年9月30日現在(宮城県復興・危機管理部復興・危機管理総務課)

この両岸を結び、鎮魂の場となる祈念公園への参道という意味合いを持つのが中橋だ。以前架かっていた橋は津波で流失しており、再建は南三陸町の復興のシンボルの一つとしても位置づけられていた。パシフィックコンサルタンツは、南三陸さんさん商店街や南三陸311メモリアルなどの計画を手がけてきた隈研吾建築都市設計事務所と設計JVを組み、隈事務所の描いたマスタープランをベースに、繊細でありながら力強く、安心感のある橋へと昇華させた。設計JVの管理技術者を務めると同時に実際の設計とデザインを中心で担ったのが、1990年のパシフィックコンサルタンツ入社以来、ほぼ橋梁設計一筋に30年以上のキャリアを積んできた齊藤だった。

美しいデザインと橋としての安全性の両立を目指して

齊藤は、地元のスギ材をふんだんに使いながら繊細に描かれた隈事務所のデザインスケッチに美しさと魅力を感じる一方、このままでは橋としては構造が成立しないと直感していた。「そのデザインスケッチは、両岸に渡した細い一本のケーブルの上に、細木で支えてライズの低い太鼓橋状に橋面を構築するという非常に繊細なものでした。デザインとしては美しくても、このままでは人が安全に、安心して渡る橋として現実のものにすることは非常に難しいと感じました。しかも設計期間は7カ月しかなかったのです」。齊藤はデザインの再検討と並行して、その構造成立性の検証を実施しつつ複数のデザイン案を構想。最終的に2案に絞り込んで発注者である町に提案した。その結果採用されたのが、この「パイプトラス案」だ。

部材を鋼管に置き換え、溶接でシンプルに仕上げる

この設計案は当初の「逆三角形に細木を組んで床版を支える木製の太鼓橋」というイメージを踏襲しながらも、橋体を鋼製パイプによるトラス構造に置き換えることにした。「橋でまず問われる構造の安全性、安定性を確保しました。ただし、それによって橋に無骨な印象が生まれることは避けなければなりません。3Dモデルによる立体解析を繰り返して、各部材のサイズをぎりぎりの寸法にまで削ぎ落としました。また、橋台についても、橋の軽快な水平基調のラインを阻害しないよう橋座面まで堤体内に埋め込み、まるで空から降ってきて地上にそっと置かれたような橋に仕上げました」

3D解析で綿密に角度を割り出したトラス接合部

3D解析で綿密に角度を割り出したトラス接合部

さらに齊藤は、橋全体の造形がすっきりとした印象になるよう、原則として部材相互の接合には溶接を採用することにした。一部ボルトによる連結が必要になるところも、鋼管内に配置したリブ材をボルトで接合したうえで、カバープレートで覆い、徹底的に外観を整えた。また、トラス形状となる鋼管の接点部は、見た目に違和感を与えないように6本の鋼管の軸線を1点に集めた。このため全ての交点で各部材の交わる角度が立体的に変化し、パイプ先端の切断形状は3次元の非常に複雑なものになる。齊藤は敢えてそれにチャレンジし、あくまでもシンプルかつ繊細に仕上げていった。

橋台を堤防の中に埋め込み水平ラインを強調
橋台を堤防の中に埋め込み水平ラインを強調
(矢田工業株式会社提供)
溶接の手順も検討
溶接の手順も検討
(矢田工業株式会社提供)
パイプ先端の形状は非常に複雑になった
パイプ先端の形状は非常に複雑になった
(矢田工業株式会社提供)
溶接は熟練者を選抜して行った
溶接は熟練者を選抜して行った
(矢田工業株式会社提供)

震災復興祈念公園への参道にふさわしく

さらに齊藤が独自に工夫したことがあった。それは橋の真ん中に、逆アーチ状に水面へ近づきながら対岸に渡るルートを設けて、ダブルデッキ構造にしたことだ。「当初はその考えはありませんでした。しかし、設計を進めていくにつれて、橋の中央部に、構造上最大3mの構造高さが必要となり、そこにある程度の空間ができました。この空間を活用して、水面に近づく第2のデッキを設け、どちらを通っても対岸に渡れるようにしました。1つの橋を渡るにも異なる2つの景色が楽しめます」

橋の中央に下って上る、もうひとつのデッキがあり別の景色を楽しめる

また高いウッドゲートは、隈事務所のアイデアを生かし、デッキに必要となる高欄の支柱を上に伸ばす形で採用した。結果として神社の鳥居のようなイメージが生まれ、震災復興祈念公園への参道にふさわしい印象的な佇まいとなった。このウッドゲートや床版には、高台移転に伴って伐採された地元産のスギをふんだんに使っている。

さらに高欄を横桟式にすることで、橋を渡るときの眺望を遮らないような形とした。また手すりの笠木の中には照明を組み込んで足元を照らし、夜間の印象的な風景を演出している。

手すりの笠木に組み込まれた照明が床版を照らし印象的な風景をつくっている

「橋」ではなく「橋のある風景」をつくる

設計期間に余裕はなかったが、齊藤はこれまでのキャリアの中で得た知見やノウハウのすべてをこの80mの人道橋に注いだ。逆に言えば、30年の学びと積み重ねがなかったら、この橋の設計を7カ月で終えることは到底できなかったろうという。もちろん田中賞というブリッジエンジニアにとっての最高の栄誉も得られなかったに違いない。「この橋の設計で、特に新しく編み出した設計手法があったわけではありません。これまでに先輩から学んだことや、自分で試行錯誤しながら身に付けてきたもののすべてを注ぎました。その意味では、普段から私が設計で大切にしていることを、ここでも活かすことができたといえるかもしれません」

これから橋の設計に携わる若い世代にも伝えておきたいという自身の思いについて、齊藤は続けてこう語る。

「1つめは『Bridges View』という考え方。この言葉は、私の尊敬する先輩が使っていた言葉です。それを私なりに解釈すると、私たちが設計するのは単体としての橋ではなく、橋のある風景そのものだと。決して橋だけが突出することがなく、風景に馴染むもの、風景と一体になる橋こそ、その場所で求められているものと考えています。2つめは『構造美』。構造美は必然性のあるところに生まれます。 "力の流れ"を掴み、それに極力逆らわず工学的な無駄を排除し、技術力を味方にして橋を構成する部材の形状、組み方などを磨き上げると、シンプルで美しい構造美が自然に現れるのです。そして3つめは安心感と存在感のバランスです。橋は渡る人のものであり、人が安心して使えるものでなければ意味がありません。デザインや意匠のような見た目ばかりにとらわれるのではなく、橋を渡る人の安心感と共にバランスよく確保されていることが大切なことだと思います。そしてそれは構造を熟知した技術者にしかできないことです」と齊藤。この3つの思いに導かれたのが中橋の設計であったという。

齊藤は中橋の竣工後に何度も現地を訪ねた。いつ行っても、橋を背景に写真を撮っている人の姿があり、橋を渡りながらこの橋を話題にしたり、しばらくそこで佇んだりする人の姿があった。この橋が多くの人に愛されていることを知って、苦労が報われたとあらためて感じたという。

本ガイドラインの対象とする環境影響評価の項目及びモデルケース
橋の上でのひとときを楽しむ人々の姿

また、国土交通省東北地方整備局が主催して毎年行われている「高校生『橋梁模型』作品発表会」では、複数の高校生グループが、中橋をモデルに模型を製作し、いずれも見事入賞した。「田中賞を受賞できたこともうれしかったのですが、高校生たちが模型作品の素材に選んでくれたことはそれと同じくらいうれしかった」と齊藤は振り返る。

この橋の銘板には、管理技術者である齊藤自身の名前が刻まれた。齊藤は、自らの仕事であるという証しが残せたことに、設計者としての幸せを感じたという。中橋は齊藤にとってもパシフィックコンサルタンツにとっても特別の意味を持つ橋になった。

齊藤 展生

SAITO Norio

交通基盤事業本部 構造部 橋梁第二室

1990年入社。主に道路橋の計画、設計業務に従事。東日本大震災時には東北交通基盤事業部副部長として震災復旧・復興事業に携わる。その後本社品質管理部門、フィリピン国メトロマニラプロジェクトを経て、2021年2月より現職。現在は橋梁設計業務とともに大型再開発プロジェクト事業の橋梁設計に注力している。技術士(総合技術監理―建設―鋼構造及びコンクリート)、技術士(建設―鋼構造及びコンクリート)。

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