古くから旧北上川河口部を中心に川湊(かわみなと)として栄えてきた石巻市は、東日本大震災で甚大な被害を受けた。まちを津波や高潮、洪水の被害から守るためには、新たな堤防整備が欠かせない。しかし、無堤防であったからこそ水辺と一体で独自のにぎわいをつくってきたまちに、新たに堤防を設けるのは容易ではない。これまでの川と暮らしの親密な関係を維持しながらいかに市民の生命と財産を守る堤防を築くのか――難題に挑戦した旧北上川河口部復旧・復興事業にパシフィックコンサルタンツも深く関わった。中心で業務にあたった国土基盤事業本部 流域構造部・河川構造室の天田崇人と北海道支社 北海道国土基盤事業部・水工室の塚清仁が11年余りに及んだ業務を振り返った。
旧北上川河口部の堤防計画と関連事業
<新たな堤防計画>
河口に近い無堤区間に延長約15kmの堤防を新たに整備する
・全体延長 15.0km(築堤・護岸延長13.8km+導流堤延長1.2km)
<主な関連事業>
・海岸堤防の整備
・南浜マリーナ、石巻南浜復興祈念公園、中瀬公園の整備
・石巻かわみなと大橋、西中瀬橋、東中瀬橋、内海橋の掛け替え
・石巻中央排水ポンプ場、不動沢排水ポンプ場、井内第一排水ポンプ場、井内排水ポンプ場の新設
・市民交流施設、商業施設、復興住宅・マンション等の建設 他
INDEX
川と一体で栄えてきたまちを襲った津波
石巻市は宮城県北東部に位置する都市で、仙台市に次ぐ宮城県第2の人口を擁している。中心となる市街地は旧北上川河口部に築かれ、古くは江戸時代から仙台、岩手県水沢、さらには江戸に送る米の積み出し地として繁栄した。江戸深川に集まった仙台米は30万石を超え、江戸で消費される米の半ばを占めたともいわれる。
しかし古くから無堤防で川に開き、川と一体でまちづくりが進んだ河口部は、東日本大震災の津波で壊滅的な被害を受けた。津波高さはT.P.(基準水準面である東京湾中等潮位)+8.6m、市内の73k㎡が浸水した。死者は3,464人(震災関連死を含む)、行方不明者は414人※1、住宅被害も全壊が20,044棟、半壊が13,049棟に上った※2。この数字は東日本大震災で被災地した市町村として最大のものだ。
※1 出典:石巻市総務部危機対策課 2023年2月末現在
※2 出典:東日本大震災における被害状況 2022年9月30日現在(宮城県復興・危機管理部復興・危機管理総務課)


(出典:国土交通省東北地方整備局 北上川下流河川事務所「東日本大震災から10年間の取組(石巻市提供)」)
歴史のある水辺のまちに新たに堤防を整備する
江戸時代から川に開かれ、当初は舟運のまちとして、後には金華山・三陸沖の漁場資源を活かした漁業基地として、石巻市では漁獲物の流通や水産加工業が発展してきた。目の前に旧北上川がゆったりと流れ、河口の先に太平洋が大きく広がる景色はこのまちならではのものだ。そこに大規模な構造物となる堤防を、しかも最もにぎわいのある中心市街地に築くことになる。市民の生命と財産を守るという機能を確保しながら、いかに川のある風景に馴染ませ、市民に親しみのあるものにするのか、その基本的なデザイン、市民の合意形成、そしてまちの機能を維持しながらの工事手法や具体的な工事計画など、課題は山積していた。
国土交通省東北地方整備局の北上川下流河川事務所が中心となって堤防の基本計画を策定、石巻市も堤防整備計画に連動して、橋の掛け替えや排水ポンプ場の新たな整備、さらには"水辺の緑のプロムナード計画"を進めることになり、国と市が一体となって既存の中心市街地に大規模な堤防を新たに築くという全国でも例のない「堤防整備・石巻地区かわまちづくり」事業がスタートした。
住民説明会で丁寧に説明
2011年の3月下旬、まだ新幹線も高速道路も不通のままだったが、東京にいた天田が石巻に向かった。パシフィックコンサルタンツ東北支社は震災前から北上川下流河川事務所の業務を受託していた関係もあり、要請により発災後すぐに被災調査、災害査定業務に着手していた。その応援をする一方で、堤防の基本計画を策定し、さらに詳細設計を進めるためだった。
「どこにどういう規模の堤防が必要になるのか、国がまずその整備計画を決定しなければ震災からの復旧・復興が始まりません。どのような堤防が必要になるのか、線形をどうするかという検討がまず必要でした」と天田。市が構想する水辺を歩くプロムナードの新設や、堤防の天端を隣接して設ける公園や商業施設入り口と一体にするといった、まちと一体の堤防整備構想ならではの試みも多く、堤防の規模や基本構造、線形などの基本事項を決定した後も、修正・変更を重ねながら詳細設計を進めていった。さらにこれらと並行して重要な業務になったのが、住民の合意を得るための説明会の開催と運営だった。計画では数十年から百数十年に1度の頻度で発生する津波や高潮を想定し、それに対応するため、最も高いところで7.2m、低いところでも4.5mという堤防を左右岸合計で延長約15kmにわたって整備する必要があると考えられていた。しかし、川の存在を日常の一部としながら暮らしてきた住民にとって、それは簡単に同意できるものではなかった。
「川が見えなくなる、大きなコンクリート構造物で閉塞感が生まれる、同じような大きな津波は当分来ない、といった趣旨の反対意見は多くありました。また今回の整備では、堤防の規模が大きく、また最も下流の河口付近は工場や倉庫などの非住宅用地とするということを前提としていることもあり、転居を求められる住民もいます。その点でも堤防新設への抵抗感は大きかったと思います。河川事務所が先頭に立って説明会を繰り返し開催し、私たちもすべての説明会に参加して詳細な計画説明などのサポートを行いました」と、天田とともに説明会に同行し続けた塚は語る。住民に寄り添い丁寧に説明を尽くす、という河川事務所の方針の下、10以上の町内会で、2回、3回と説明会を開催し、川の後ろに広がるまちを守るためにはどうしてもこの堤防が必要になるということを根気強く説明していった。回を重ねるごとに住民の理解は進み、早く堤防を整備して子供たちの世代のために、安心して住めるまちにしてほしいという声も徐々に大きくなり、2013年1月には計画への合意が得られた。「私たち設計者が直接住民の皆さんの意見を聴くという機会はなかなかありません。非常に勉強になったと同時に、皆さんの期待にしっかり応えなければという気持ちが高まり、業務の励みになりました」と塚は振り返る。
CM業務を担う
住民の合意形成と並んでこの堤防整備事業にはもう1つ大きな課題があった。それは工事の推進に関わることだ。関連事業が多く、多くの工事を同時に市街地の中心部で進めなければならない。しかも事業主体は県や市、民間企業などまで10以上に及んでいた。
例えば市が進める排水ポンプ場の整備がある。従来は、雨水はそのまま川に流れ込んでいたが、堤防で仕切られるために雨水が溜まりやすくなる。加えて石巻市街地は震災によって約60cmの地盤低下があり、その点でも雨水の排水が難しい。堤防の整備と同時に複数のポンプ場を新設する必要があった。また新たに堤防を設ければ、その機能を発揮するために、高さ不足となる河口部付近の橋は掛け替えが必要だった。これも市が管轄する工事だ。さらに堤防の整備に伴って、川沿いを走る道路も敷き直さなければならない。こちらは県が主体となる。加えて堤防と一体で整備されるプロムナードや公園、商業施設もあった。
「課題になったのが、各事業の作業工程をいかに調整し、スムーズに進めるのかということでした」と天田。「例えば、そこに堤防ができてしまうと、市が進める工事用の道路が付けられないとか、橋台が設置できないといったことが起こります。かといって、周辺事業の進行を優先して堤防の工事を遅らせることはできません。連携がうまく取れなければ、全体のスケジュールに遅れが出たり、作業上のミスが誘発されたりといった懸念がありました。しかも事業主体は多く、それぞれに高い専門性があります。そこで国は事業の全体調整を民間技術者チームが行うコンストラクション・マネジメント(CM)方式※3に委ねることにして、パシフィックコンサルタンツがその業務を担うことになりました」
※3 CM方式は「建設生産・管理システム」の一つで、発注者の補助者・代行者であるCMR(コンストラクションマネージャー)が、技術的な中立性を保ちつつ発注者の側に立って、設計の検討や工事発注方式の検討、工程管理、コスト管理などの各種マネジメント業務の全部又は一部を行うもの(出典:国土交通省「CM方式活用ガイドライン」)
全体事業工程表をつくって管理
新設する堤防の周辺で建設されるポンプ場や橋、道路などは市や県が担うもので、それぞれ独自に工事スケジュールを引いている。もちろん施工業者も異なる。パシフィックコンサルタンツは各事業の工程表をひとつにまとめ、何を先行させてどういう段取りで全体を進め、当初の計画期間内にすべての工事を完了するか、詳細な計画をつくって全体を管理していった。月に2回の定例会議で進捗や課題を話し合うとともに、随時個別の打ち合わせを重ねた。それでもさまざまな問題が発生した。
「各事業者の事情でどうしても工事に遅れが出ます。予定どおりお願いしますというだけでは解決になりません。こちらからも効率化が図れる工事方法を提案したり、堤防側の工事の進捗を調整して橋や排水ポンプ場建設に関連する工事用の仮設道路や桟橋が設けられるようにしたりするなど、積極的に調整を進めました。私たちは総合建設コンサルタントとして橋や道路、建築など各分野の専門知識ももっていますから、工法の提案などにはそれが活かせたと思います」と塚が振り返る。
設計から工事の完了まで見届ける
整備された堤防と周辺施設(交通広場付近)
2013年1月の住民合意、同じく2013年3月の石巻市の「いしのまき水辺の緑のプロムナード計画」の最終決定を受けて進められた国の全体計画「石巻地区かわまちづくり」は、CM方式の採用も大きな推進力となって2021年度にほぼすべての事業を完了、2022年4月23日には完成式典が開催された。工事期間は全体で10年以上に及んだが、生まれ変わった堤防一体の水辺空間には多くの市民が訪れ、石巻の新しい川のある暮らしを楽しんでいる。

(出典:国土交通省東北地方整備局 北上川下流河川事務所「石巻かわまちづくりデザインノート」)
「発災直後の被災調査から関わり、堤防の設計を一から組み立て、さらに施工管理まで担って完成を見届けることができたことは、貴重な経験でした」と天田。「自分の描いた図面がこういうふうに形になっていくのだと知ったことも非常に勉強になりましたし、こういう大事業に携わることができたことを誇らしく思います」と語る。天田はいまも別のプロジェクトで旧北上川上流の堤防づくりに関わっている。
一方塚は、このプロジェクトがきっかけとなってパシフィックコンサルタンツに転職し、正社員となるという道を歩んだ。その意味でも感慨深いという。
「発災当時は協力会社の一員として別の河川系の業務に就いていましたが、3月下旬に応援でパシフィックコンサルタンツ東北支社に行くことになりました。出向という形を経た後、パシフィックコンサルタンツに転職して社員へ、と身分を替えながら一貫して携わってきました。これほど大規模で関係者の多いプロジェクトに関わることはなかなかできません。特に10社以上を束ねるCM業務を経験できたことは、自分のマネジメント力を高める意味でとても価値のあるものでした。私たちが設計するものは、治水に直結し、人々の命を守るために大切なものです。しっかりと機能が果たされるものでなければなりません。この事業では施工の細部まで知ることができたので、それを設計に活かし、また若手にも伝えながら、これからも地域のため、国のために尽力していきたいと思っています」
ひとつの事業から新しいまちや暮らしが誕生し、さらにさまざまな学びが生まれ、それが人から人へと継承され、未来へとつながっていく。