宮城県仙台市と青森県八戸市を結んで東北地方の沿岸を通る三陸沿岸道路(三陸道)は震災前から整備が進められていたが、一部が開通していただけだった。同じく沿岸部を通る国道45号は各地で津波の大きな被害を受けた。震災復興には三陸道の早期開通が欠かせなかった。概ね10年という異例のスピードでこの事業を進めるため、国は全国でも初となる事業促進PPPを導入。パシフィックコンサルタンツは、釜石山田工区で同業務を受注し早期整備に大きく貢献した。中心で活動した東北支社 東北交通基盤事業部 構造室の戸松周、同道路室の山蔭修、白石雅人、小山智広の4人が当時を振り返った。
INDEX
- リーディングプロジェクトとして位置づけられた三陸道
- 日本初となる事業促進PPPを導入
- 難関の釜石山田工区の業務を受注
- 国と関係機関・住民の間をつなぐ存在として
- 地権者の仮住まいの場所も探す
- 縦横の広がりのなかで事業を俯瞰することが必要に
- あらためて感じた人と人のつながりの重要性
リーディングプロジェクトとして位置づけられた三陸道
東北地方の太平洋側を南北に結ぶ道路は、内陸側を通る国道4号と、沿岸部を走る国道45号がある。しかし国道45号はリアス式の曲がりくねった海岸線に沿って通る道路で、それに代わる自動車専用道路として全長359kmの三陸沿岸道路(三陸道)が計画されていた。一部区間では工事が始まっていたが、進捗ははかばかしくなく、東日本大震災前に開通していたのは宮城県内の内陸部を中心にした約129kmで、全線の約3割程度に過ぎなかった※1。しかも、震災の被害で国道45号は22区間で通行止めが発生、また陸前高田市の気仙大橋をはじめとして5つの橋の上部工が流失していた※2。
国は緊急対策として、国道45号の応急啓開を行うと同時に、三陸沿岸道路の整備を震災からの早期復興に向けたリーディングプロジェクトと位置づけ、加速することにした。
日本初となる事業促進PPPを導入
しかし、いかに緊急性があるといっても道路整備を行う上で踏まなければならない手順に変わりはない。整備主体となる国の道路事務所は、関係機関や地元住民に対する説明会や設計協議、用地交渉、各種調査、さらには施工管理などの膨大な業務を遂行しなければならなかった。職員だけでは人的リソースが大幅に不足することから、国はPPP (Public Private Partnership:パブリック・プライベート・パートナーシップ)と呼ばれる官民連携の事業手法を採用、国と民間技術者チームが連携して事業をマネジメントしていくことにした。従来のPPPとは異なり、事業促進PPPという形で道路整備のマネジメント業務に導入されるのは全国でも初の試みだった。国土交通省東北地方整備局は三陸道整備への事業促進PPPの導入について、次のように説明していた。
・新規事業化区間において、今後、工事着手までの2~3年の間に、膨大な業務(調査・設計、協議・調整、用地取得等)の実施が必要になる。
・発注者の業務範囲を、従来どおり発注者だけで実施することは困難。
・発注者が行ってきた"川上"での業務に対して、民間の力を活用することを初めて導入。

<事業促進PPPの業務体制>
事業促進PPPは、事務所チーム(国)と民間技術者チームがパートナーシップを組むもので、民間技術者チームは、事業管理、調査設計、用地、施工の4分野のエキスパートで構成される。具体的には建設コンサルタントやゼネコンなどが混成チームを組み、従来は国が行っていた業務を担う。実際の測量や調査、設計などの実務は民間技術者チームとは別の受注者が行い、民間技術者チームはマネジメント業務に徹する。
難関の釜石山田工区の業務を受注
事業促進PPPの公募を受け、パシフィックコンサルタンツは2014年度に三陸道全13工区のうち釜石山田工区(釜石山田道路)を受注、それから2年を1期として3期6年間、2019年度末(2020年3月)まで、民間技術者チームの管理技術者あるいは主任技術者として業務にあたった。着手したての第1期では、現北海道支社 技術顧問の鈴木剛が管理技術者として内外の調整に尽力。事業促進PPPという新たな取り組みへの挑戦が始まった。

「釜石山田道路は総延長が23kmですが、途中の4.6kmは2011年3月5日、まさに震災の6日前に開通しており、差し引き18.4kmが工事区間でした」と、この工区で最終第3期の管理技術者を務めた戸松が語る。直前に開通した4.6kmの区間は、震災発生当日、児童生徒が自主的に高台へ避難し、通過したトラックによって安全な避難所まで運ばれ難を逃れた、いわゆる「釜石の奇跡」とともに記憶されている。
「この工区は着手前から非常に難易度が高いと考えられていました。まず、トンネル区間が8km、橋梁が2kmと合わせて10kmもあり、工区全体の43%に及んでいました。さらに5箇所のインターチェンジ(IC)が計画されていて、トンネルを抜けるとすぐICとなります。山間の狭い平地部にICをコンパクトに収めなければなりません」
さらにこの工区が大変だったのは、計画用地に多くの住戸や商業施設があったことだと、第1期の事業管理専門家として着任した小山が振り返る。「この工区は市の中心部を通り、商業地や住宅地のそばを走ります。だからこそICが5箇所もあるのですが、地権者が非常に多いのです。しかも釜石市は大きな津波被害を受けたものの、道路が計画されていたところは津波浸水エリアから離れており、住宅や商店も震災前のまま残っています。被災を免れたのに、道路やIC建設のために立ち退かなければならないというのは、住民の皆さんの感情として受け入れにくいものがあったと思います」
国と関係機関・住民の間をつなぐ存在として
難関の工区であるうえに事業促進PPPの発注は最も後となり、それだけ事業完了までの期間は他の工区より短かった。しかも、三陸道全線の開通は震災10年後の2021年が目指されたが、ラグビーワールドカップ日本大会の開催が2019年9月と決定済みで、釜石市はその会場の1つとなっていた。そのため、釜石山田道路は2019年の早期に工事完了することが求められ、ただでさえ短い工期がさらに短縮されていた。しかも誰ひとり経験したことのない事業促進PPPだ。最初期から携わった小山が振り返る。「庁舎の敷地内に、プレハブの事務所を設け、常駐して業務にあたりました。膨大な業務があるのですが、そもそも国道事務所と民間技術者グループの役割分担をどうするのか、誰が何をするのかが手探り状態だったのです。最初の1年は、走りながら調整するという状況でした。私個人としても、これまでは主に調査設計をやっていたので、事業工程管理は未経験です。何から手を付ければいいのかわからなかったですね」
小山は釜石市や地元住民との協議にも臨んだが、これも非常に難しかったという。「関係機関協議は、従来なら国の担当者に同行するという程度です。しかしこのPPPでは、こういう設計をしたいがどうですかと国に代わって説明し、議論して同意を得ることが求められます。しかし協議先では、民間企業であるという理由から門前払いされてしまうようなこともありました。とにかく粘り強く協議を重ねるしかありません。回を重ねるうちに徐々に打ち解けることができ、逆に民間の人だから話しやすいと言ってもらったり、こうして欲しいのでうまく国に話してくれと依頼されたりすることもでてきて、ようやく業務がうまく回りはじめました」
地権者の仮住まいの場所も探す
市街地に近接する釜石中央IC
小山が奮闘した第1期2年のさまざまな調整を受け、第2期は、いよいよ施工が本格化していく。白石が調査設計専門家として、山蔭が管理技術者として着任した。しかし施工に入っても問題は続出した。「長大切土法面勾配を1箇所のボーリングデータで決めているなど、調査が不十分なまま設計が進められているところもありました。そのため、工事に入ってから、想定していない非常に硬い岩盤にぶつかることがあったんです」と山蔭。「この場合は、道路の高さを変えるとか切土勾配を変えるといった設計の修正が必要になります。しかし工事は止められません。できる範囲の施工をしながら設計変更をおこなうことが日常的にありました」。その設計の調整に奔走したのが白石だった。「道路の設計が変われば、当然それと連続しているトンネルや橋梁、設備関係の設計も変更が必要になります。下を通る道路や河川、鉄道との協議も必要です。膨大な調整業務が発生しました。実際の設計作業は専門の設計会社が行い、また最終判断は国ですが、それまでの情報共有や方針の検討を間違いのないように、時間は限られていましたが、慎重に進めなければなりませんでした」
また、同じく2期を担当した山蔭は、未着工部分の解消のため、移転者の仮住まい確保にも取り組んだ。「用地確保はほぼ終わっていると聞いていたのですが、実際には移転していない地権者も多く、例えば釜石中央IC付近では、建設予定地に約60軒もの住戸や店舗が残っていました。しかも、移転先の土地の造成や住宅建設が遅れているといった理由から、すぐに立ち退ける状況でもないのです。そこで私は不動産業者を訪ねて仮住まいに使える物件の一覧表をつくり、いったん借り住まいをしてほしい、どれがいいかと、地権者との突っ込んだやりとりをしました。このような活動は当然業務範囲外ですが、これも事業促進PPPならではのことだったと思います」
縦横の広がりのなかで事業を俯瞰することが必要に
最終第3期の2年間で管理技術者を務めた戸松は、施工終盤のさまざまな問題に対処しながら、6年間の成果の取りまとめや現場事務所の閉鎖に向けて活動した。「事業促進PPPが、調査から設計・施工、維持管理といった事業としての縦軸での連続性をもち、また、道路を中心にトンネルや橋梁を含めて面的な広がりをもつという、時間的にも空間的にも広い視野を求められる点は、従来の個別のコンサルタント業務にはない新たな学びでした」と振り返る。そしてもうひとつ、忘れられないエピソードがあるという。
「事務所を引き払うので、大量のクリップやバインダーを廃棄します。事務所内から市役所や町役場に差し上げれば、という声が上がり電話をしてみました。すると釜石市市役所も大槌町役場もクリップ一つでもありがたい、といってくださり、持参したんです。すると職員のかたが頭を深々と下げて『本当にありがとうございました』と言ってくださった。クリップのお礼というよりも、この6年間の事業の取り組みに感謝の言葉をいただいたと思い、うれしくて胸が一杯になりました」。これも事業促進PPPで関係者と一体となって懸命に走り続けたことの賜物だったと戸松は言う。
あらためて感じた人と人のつながりの重要性
2019年6月22日、釜石山田道路は最後の工事区間「釜石北IC~大槌IC」間が開通、全線23kmの工事が完了した。また仙台と八戸を結ぶ三陸道359kmも震災から10年あまりとなる2021年12月18日に全線が開通した。事業促進PPPの取り組みがなければ、これほど短期間での工事完了は不可能だったはずだ。膨大な業務を前に試行錯誤を続ける毎日だったが、大きなやりがいがあったと4人は異口同音に振り返る。
「私が入った第1期のときは何もなかったので、まちづくりが大きく進んでいるのをみるのは感慨深い」と小山。PPPで得たものは多く、その後も熊本における復興プロジェクトで同じく事業促進PPPを担っている。「事業促進PPPはこれからも増えていくと思います。若い人にもぜひ経験してほしい」と語る。
2期で設計調整に奔走した白石は「私は専門が道路ですが、ここではトンネルや橋梁、設備にも踏み込んで検討することが必要でした。また施工の現場を見る機会も多く、それを見ながら設計の検討を進めたことで、非常に多くの学びを得ました。得られた知見・技術について、これからの業務や若手への技術継承に活かしたいと思います」と言う。同じく2期の管理技術者を務めた山蔭は「重要なのは人と人のつながりだと感じた」と自身の業務を振り返る。「われわれは、技術論は得意です。テクニカルな問題は、いずれは解決できる。しかし、設計でも施工でも重要なのは人と人のつながりですね。発注者、住民、施工者、すべての関係者といかに良い人間関係を築くのか、その大切さをあらためて学びました」
最後に、釜石山田工区における事業促進PPPの6年を見届けることになった戸松が、取り組みを終えてこう語る。「道路の開通はもちろんですが、沿道に店舗や住宅が建ち、まちができていく姿を見ることができてうれしく思います。まだできたての道路で、大雨などの想定外の災害に対して心配は尽きませんが、コンパクトなインターチェンジや道路の勾配、橋脚の位置一つひとつにも、たくさんの想いやプライド、協力などが詰まっていて、ハード系技術者による武骨ながらも愛着のあるモニュメントのように感じます。その一端を担うことができて、大変幸せです。それは4人の共通の思いであり、この経験を活かし、パシフィックコンサルタンツとしての総合力をさらに高めて社会課題の解決に貢献したいと思います」
三陸道全線の10年での開通は、事業促進PPPという官民連携の新たな形を築いたものとしても大きな価値をもつものとなった。
