2015年に採択されたパリ協定の批准国であるモンゴルでは、温室効果ガス(GHG)の排出削減に向けた長期目標を掲げ、その達成を目指している。しかし国内に豊富な石炭資源を持つだけに石炭依存からの脱却は難しい。日本にどのような支援が可能なのか、その指針を策定するためのJICAの情報収集・確認調査プロジェクトが2024年にスタートした。パシフィックコンサルタンツはプロジェクトを担うJVのプライムとなり、交通基盤事業本部 設備エンジニアリング部 国際設備室の小林裕典がプロジェクトマネージャーを補佐する立場で現地で活動した。
モンゴル国エネルギー・トランジション促進に係る情報収集・確認調査(JICA)
<プロジェクトの概要>
事業実施期間:2024年4月~2026年2月
事業目的:モンゴルは純国産のエネルギー資源である再生可能エネルギー比率を2030年までに3割とする目標を掲げているが、はかばかしい進展は見られない。モンゴル特有のエネルギー事情や経済・社会、国民生活の現状を踏まえ、エネルギー・トランジションの支援をどう進めるべきか、検討に必要な情報を収集・分析し、2050年カーボンニュートラルに向けたロードマップ案を作成する。
<モンゴル国>
モンゴルは中国とロシアに挟まれた内陸国。面積は156万4,100km2で日本の約4倍だが、人口は約350万5,000人で横浜市を少し下回る程度だ。石炭をはじめとする鉱物資源を豊富に埋蔵し、その輸出が経済を支える。首都はウランバートルで総人口の約半分が集中。発電、熱供給とも豊富に産出する石炭に依存しているためGHG排出量の増加、ウランバートルでの大気汚染の深刻化を招き、その解決が大きな課題となっている。
(JICA資料を基に作成。国勢データは外務省資料による)
INDEX
- 求められているエネルギー石炭依存からの転換
- 現地の生活者へのインタビューを設定
- 容易には進まない石炭依存―調査から見えてきたこと―
- 生活者と一対一で真摯に向き合う
- 現地のひとが「そうしたい」と思うものでなければ
求められているエネルギー石炭依存からの転換
中国とロシアの間に広大な国土を持つモンゴル。ゲルと呼ばれる移動式住居に住み、羊と共に草原を移動しながら暮らす遊牧民の国というイメージが強いが、1990年に社会主義を脱して民主化・市場経済化の道を選択し、1992年からは本格的に資本主義経済を導入。それをきっかけに都市への定住が進み、現在では伝統的な遊牧民は人口の1割程度といわれる。特に首都ウランバートルへの一極集中は激しく総人口の半数が住む。それに伴って深刻化しているのがGHGの排出の増加と大気汚染の深刻化だ。国内に豊富に産出する石炭への依存度の高さがその根拠になっている。
実際、モンゴル国内で発電される電力は約9割が石炭火力発電所によるもので、風力や太陽光など再生可能エネルギー発電所由来は1割に過ぎない。モンゴル政府は純国産の再生可能エネルギー比率を2030年までに3割とする目標を掲げているが、水力発電は中国やロシアとの国際的な河川管理の問題があり、風力や太陽光発電については系統電源への接続の技術的な制約が大きく導入が進まない。また脆弱な財務体質のためエネルギーインフラの新設や増設、改修も十分に進んでいない。
ところが石炭依存は電力供給源の問題だけではない。国内のエネルギー供給量全体に占める電力の割合は実は15%に過ぎず、その60%以上を占めるのが暖房用の熱供給だからだ。モンゴルは北緯47度に位置する。これは日本の北海道より北の樺太と同じ位置で、しかも内陸にあることから非常に寒い。真冬の最低気温はマイナス40℃近くにまで下がる。夏は短く、しかも朝晩は暖房が欲しくなるほど寒い。その暖房用の熱供給も、都市部では石炭を使用する熱電併給プラント(Combined Heat & Power:CHP)や熱供給プラント(Heat Only Boiler:HOB)によってつくられた温水を循環させることで賄われ、都市近郊のゲルやバイシンと呼ばれる低所得者の住居ではもっぱら石炭ストーブが使われている。そのためモンゴルの購買力平価GDPあたりのCO2排出量は世界第2位と非常に多く、このままでは2050年のカーボンニュートラルは難しい。
日本はJICAを中心に再生エネルギーの大量導入に耐える電力系統安定化のためのプロジェクトを継続してきたが、電力分野にとどまらずエネルギーセクター全体を俯瞰しながら、低炭素化と経済を両立させたエネルギー・トランジションを支援することが大きな課題となっている。日本として何ができるか、協力方針の検討・提案の前提となる大規模な情報収集と調査を実施することになり、パシフィックコンサルタンツをプライムとするJVが受注した。
現地の生活者へのインタビューを設定
JVには合計6社が関与、エネルギーセクターだけでなく、産業部門や運輸・交通部門、民生部門など多岐にわたる調査を分担して実施した。専門家だけで25人を超える大規模な調査チームとなった。プロジェクトのゴールは2050年カーボンニュートラルを実現するために必要な新技術導入のロードマップ案をつくり、エネルギー・トランジションの展望を明確にすることにある。小林はPMを補佐しながらプロジェクト全体を統括すると同時に、今後のエネルギー需要が、どのように変化していくか、産業、運輸、民生の3部門に分けた検討作業の中で、特に民生部門の調査と予測業務を担った。当然ながら同国内にすぐに使えるようなデータはない。既存のデータを精査し、どういう情報として使えるのかを解き明かしていく一方で、現地でのインタビューを重ねていくことにした。
「2050年までの長期計画を考えていくことになりますが、まず今どうなっているのかをしっかり見なくてはなりません。エネルギー省など省庁の担当者に話を聞くというよりも、まずは実際の生活の中でどのようにエネルギーが使われているのかを知ることが必要だと思いました。そこで重要になってきたのがゲル地区です」
容易には進まない石炭依存―調査から見えてきたこと―
ゲル地区というのは首都ウランバートルの近郊に広がる低所得者層の居住エリアで、都市に仕事を求めて地方から出てきた人が簡易なゲルを住まいとしていることから名付けられた。その数は増え続け、現在はウランバートル市の人口の6割、約90万人が居住しているといわれる。少しお金が貯まると「バイシン」と呼ばれる簡易な住宅を横に建てるのが一般的で、バイシンを建ててもゲルはそのまま維持する人がほとんどだ。
「土地が広いので撤去する必要はありません。利用方法もいろいろあって、旅行者に民泊のように提供したり、地方にいる親族の子どもがウランバートルの学校に通う時の下宿として利用したりしています」と小林。
増え続けるゲルとバイシンでは石炭ストーブが使われる。市の中心部は温水による地域熱供給(セントラルヒーティング)が整備されているが、ゲル地区にはこうした設備はなく、そもそも上下水道網もない。このストーブから出るCO2がモンゴルをGHG排出大国にしている大きな要因だが、それだけでなく窒素酸化物、粉塵が自動車の排ガスとともに盆地であるウランバートル市の大気汚染を深刻化させている。
「民生に関する調査にあたってはゲル地区に入って、一般の人、特に、社会的に弱い立場にある人の話を聞かなければと思っていました」と小林。
「私は入社後6年ほど経ってから、今しかチャンスはないと思って会社の制度を利用して1年間イギリスに留学し、開発学を学びました。そこで学んだことの一つでもあるのですが、開発にあたっては一番弱い立場にある人を見なければいけないということです。今回のモンゴルの調査でもゲル地区に住む複数のシングルマザーに時間を取ってもらって、ゆっくり話を聞きました。どんな人生を送ってきたのか、今どんなことを考えているのか、といったことまでいろいろ聞かせてもらいました」
じっくり話を聞いたからこそ見えてきたものもあるという。
「石炭で暖を採るということが一つの文化になっているということです。厳冬期はもちろん、夏でも日が落ちて寒くなってきたら石炭ストーブを焚くのですが、それは暖房用であることはもちろんですが、虫除けでもあり、さらに石炭が燃えた時の煙の香りが欲しいということなのです。生活の中に子どもの頃からずっとその匂いがあるから、離れられないといいます。なるほど、そういうことがあるのかと思いました」
生活者と一対一で真摯に向き合う
若い調査員の中には「暖を採りたいと石炭を焚くことによって大気を汚染させ、却って自分たちの健康を害している、そんなことちょっと考えれば分かるのに......」といった感覚を持っている人がいるという。しかし小林は、そうした感覚を持ったままでは本当の調査はできないと考えていた
「石炭を燃せばCO2が出て健康にも悪い。再生エネルギーがいいのですと上から言うのは簡単です。しかし『そんなこと当たり前でしょう』という意識では相手には響きません。彼らなりの理由や意味、合理性があって使っているのです。そこまで掴まなければ調査にならないし、彼らを動かすエネルギー・トランジションの施策も出てきません」
小林は現地調査のあらゆる場面で、このスタンスを貫いた。それは現地で雇用した通訳の心にも響くものがあったという。
「現地で帯同してもらう通訳にとって私たちのインタビュー対象者は同胞です。その人にどういう意識で接しているかということは彼らに敏感に伝わります。もし私たちが、いかにも先進国の人間という上から目線で接したら、通訳は不快な気持ちになるでしょう。逆に、人間として一対一で誠実に向き合っていると感じたら通訳自身も、調査チームの一員として課題の解決のために力になりたいという気持ちになります。それは通訳を挟んだコミュニケーションの質を高めることにつながります」
現地のひとが「そうしたい」と思うものでなければ
2050年までの長期を見通せば、モンゴルにおけるエネルギー・トランジションは再生エネルギー由来の電源割合をいかに伸ばすかにあるのは明らかだ。送配電系統を強化し、柔軟性や信頼性を高めながら、風力、太陽光などの再生エネルギー利用を拡大する、水素などの新燃料を開発する、ZEBやZEHの考え方を普及させ断熱対策を強化する、さらに厳寒の地であっても安定した熱が得られる地中熱ヒートポンプ技術の活用などを組み合わせていくことが長期ロードマップの骨子になるだろうと小林は言う。ただし、それは現に今モンゴルで生きる人自らがそうしたいと思うものでなければ、絵に描いた餅に終わる。
「きれいなロードマップを書くだけならそれほど難しくはありません。しかし、人を動かす力があるものにするために、丁寧な調査は欠かせないと思います。例えば今後はゲル地区の石炭ストーブも電気ストーブに切り替えていくことが必要になるでしょう。今、一人親家庭の人たちは自分より先に子どもが家に帰って石炭ストーブをつけるのは危ないと思うから、先に一人で帰さずに職場に呼んだりしています。でももし操作が簡単な電気ストーブになったら、一人でも安全に暖を採れる可能性は高まります。そういう意味でも電気ストーブに変える価値があるわけです。それは彼女たちの心を動かすストーリーと言えるのではないでしょうか。一例に過ぎませんが、そういうアプローチが必要だということです」
「エネルギーの将来像というテーマは検討の範囲が広く、また人々の日々の生活にも密着したものであることから、単純に技術だけでは語れません。そのため将来のエネルギーのあり方が描ける専門家はほとんどいません。一つの入り口から入って、どんどん広げていける。だからおもしろいとも言えます。しかも人文社会に関わる関心や知識も求められる分野なので、その点は私にとっても学んできたことが活かせる分野ではないかと思っています」
学生時代、思い立ってバックパッカーで世界のいろいろなところを歩いたという小林。世界の人々の暮らしを間近に知ることの面白さと、それが自分の人生も豊かにしてくれるということを今、改めて感じているという。