2015年9月に本社を東京都多摩市の聖蹟桜ヶ丘から現在地に移転したパシフィックコンサルタンツ。それは「神田で最も皇居に近い町会」といわれ、また「我が国の大学(東京大学)の発祥地」であるなど、多くの学校が校舎を構えた文教地区としての特色を持つ神田錦町三丁目町会の一員となることでもありました。長い歴史を持つ町会は地域の伝統である神田祭の継承にも力を注いでいますが、パシフィックコンサルタンツもその活動に加わっています。移転当初から神田祭に積極的に関わってきた建築部の紙野輝恵と岩田正徳、トンネル部の屋代瑞希、今年の神田祭の幹事を担った建築部の大沼亮太郎、航空部の三木尚輝が取り組みを振り返りました。
<神田祭とは>
神田祭は江戸総鎮守として信仰を集めた神田神社(神田明神)の祭礼。江戸時代には「天下祭」と呼ばれ徳川将軍が観覧したといわれるほど最大なお祭りで、現在も「山王祭」「深川八幡祭」とともに江戸三大祭りに数えられるだけでなく、京都の祇園祭、大阪の天神祭とともに日本の三大祭りの一つともいわれる。2年に一度、西暦の奇数年に行われる本祭では、約2,000人の祭礼行列が神田、日本橋、大手町・丸の内、秋葉原の108町会内を練り歩く「神幸祭」と、翌日に行われる各氏子町会の神輿が神田明神に入る「神輿宮入」などが盛大に催される。2023年5月にはコロナ禍による中止を挟んで4年ぶりに本祭が実施された。
INDEX
新たな町会のあり方を探っていた神田錦町三丁目
パシフィックコンサルタンツには学生時代に建築や都市工学を専攻し、まちづくりについて学んだり地域のコミュニティついてフィールドワークを経験した社員が多く在籍しています。もちろん移転先の神田錦町三丁目がどんな町か、大いに興味を持っていました。資料などを見ると、1957年には町会単独で小学校の校庭を借りて運動会を開催したり、バスを連ねて日帰り温泉旅行に出かけるなど、活動も盛んだったようです。しかし1965年頃から大手町のビジネス街が北にどんどん広がり、一帯にもオフィスビルが続々と建てられて、町の様子は大きく変わり始めました。その後も夜間人口は年々減少、現在の神田錦町三丁目の世帯数は千代田区の住民基本台帳によれば308世帯(2022年7月時点)ですが、町会の範囲に絞れば、これを大幅に下回ります。町会も危機感を抱き、新たにこの地域に入ってきた企業を法人会員に誘って「昔からの町会員と新たに町会に参加した企業の方々とのコミュニケーションを密にとり、新たな町会のあり方を模索」していくことを検討、神田祭もその核となるものとして位置づけられていました。

日常のコミュニケーションから生まれたご縁
町会と私たちとの最初の接触は個人的なものでした。移転当初、新型コロナウイルスが流行する前は多くの社員がランチや終業後の懇親で近隣の飲食店を開拓していたことを覚えています。地元に根付く歴史あるお店も多くあるエリアですので、町の方とのコミュニケーション機会もありました。そんな日頃のコミュニケーションをきっかけに町の方と交流が深まり、ある時社員の一人に、神田祭に参加しないか?と声がかかりました。その社員が周囲に声をかけたところ、神田地域に縁のある社員から「せっかく移転してきたのだから、半纏を借りて祭だけ参加するのではなく、町会員企業として地域を良くする仲間になれたらいいよね」との意見が出ました。賛同した社員たちで社内外に掛け合い、2016年度に町会の仲間に入れていただきました。社名の入ったおそろいの半纏を作って参加したのが2017年5月のことです。当時の社長も参加しました。
この時の報告を社内に向けて発信しながら、次回、2019年の参加を呼びかけると輪は大きく広がり、経営層も含めて社員40人が御神輿を担ぎました。
その後、2021年はコロナ禍のため神田祭は中止となりましたが、再開された2023年、そして2025年とこれまで4回参加して一緒に神田祭を盛り上げています。単に当日御神輿を担ぐだけでなく、前後の準備や片付け、神田祭以外の町会活動などにも意識的に取り組み、2025年の神田祭では社員の2人が幹事を務めました。町会の皆さんも当初こそパシフィックコンサルタンツがどのビルに入り、どんな仕事をしているのかよく知りませんでしたが、4回の参加を経て今では「テラススクエアのパシフィックコンサルタンツさん」として広く認知されるようになっています。

単にお祭りが好きだからではなく
社員の中には、もともと自分の地元で町会活動に参加し御神輿を担いでいる、という人がいます。そういう人にとって「あの神田祭で御神輿が担げる」というのは願ってもない機会でした。特に御神輿が次々と神田明神に入る宮入の熱狂は神田祭ならではで、憧れのシーンでもあります。しかし、当社が神田祭に積極的に参加していったのは、単にお祭が好きで伝統のある御神輿が担ぎたかった社員がいたからというわけではありません。この町の会社に勤める私たち自身も地域の一員です。ここに来たのは交通の便が良いからであり、快適な新しいビルで仕事をして家に帰るというのでは、会社はただの「箱」に過ぎません。それではいつまでもよそ者のままです。私たち自身がこの町で働く一人として一緒に町をつくっていくことこそ、働く場所をもっと魅力的なものにすることにつながると考えました。そもそも私たちは業務として、まちづくりに取り組む企業です。自分の足下から盛り上げていくことも必要であり、古くからの地元住民と新たに地元企業となった会社の従業員が、同じ町会員として町をつくっていくという都心部の町会ならではの新たな取り組みにもぜひ貢献したいと考えてきました。

ご縁日、綱引き大会にも参加
たまたま神田錦町には不動産会社やデベロッパーなどのまちづくりに関連する仕事に取り組む会社が多かったことから、町会を盛り上げたいという企業は少なくありません。神田祭だけでなく、毎年開催の「ご縁日」なども、年々盛大に行われるようになっています。「住んでいる人も、働いている人も、学んでいる人も神田錦町に大集合!......きっとこれまでのご縁も、新たなご縁もたくさん育まれるよ!」と謳う「ご縁日」は、神田錦町町会が中心となり、企業も加わってつくる実行委員会が主催するもので、過去5回の開催を重ねています。私たちパシフィックコンサルタンツも参加、その一環で行われるチーム対抗綱引き大会にもこれまで2回チームを送ってきました。
地域や社内に生まれた新しいつながり
神田祭への参加や町の行事への参加をとおして町の人や企業で働く人との交流も厚くなっています。体を寄せ、足並みをそろえ声を合わせて町会の由緒ある御神輿を担ぐのは、それだけでも一体感を育ててくれます。当日だけでなく準備や片付けなどの折に話をする機会も増えました。ランチタイムや終業後に町内のお店に入ってご主人と話したり、たまたま来店していたお祭りで知り合った「ご近所」の仲間と言葉を交わす機会も増えています。働く地元に顔なじみが増えたことが、働きやすさや気持ちのゆとりにつながっています。
社内でも、神田祭や町会の活動への参加を通して新たな交流が生まれ、業務では一緒になることのない人との新たなつながりが生まれました。社長をはじめとする経営層と一般の社員が、職制に関係なく、おそろいの祭装束で御神輿を担ぐという経験も社内のコミュニケーションを豊かにする意味で貴重です。
都心の古い町が急速にビジネス街に変わっていくという点で、東京神田はその典型例といえます。そこでどういうまちづくり、町会運営をしていくのか、新たなモデルをつくるのは私たちの役割でもあります。企業が本社や支社を置くまちの一員として地域との交流を深めていくことは、地域で暮らす子どもや高齢者、地域に訪れる多様な人々を支えたり、災害発生時の共助のベースにもなります。安心で災害に強いまちづくりを進めるために、私たちはこれからも絆を深め、地域の発展に貢献していきたいと思っています。