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2022.07.11

南三陸町イベント 第一部~南三陸町佐藤仁町長インタビュー~

World Bosai Walk TOHOKU+10 応援企画

4月10日(日)南三陸町イベントの2日目。第一部の「復興10年を振り返って」南三陸町佐藤仁町長インタビューの様子をお伝えします。
場所は震災から6年半後の2017年9月に完成した南三陸町新庁舎の1階ロビー『マチドマ』。
東日本大震災から10年以上が経過した今、震災復興に取り組んでこられた南三陸町の佐藤仁町長へのインタビューが行われました。今回は、震災以前から東北地域の防災研究や地域の防災活動に携わり、東日本大震災後2012年4月に設立した東北大学災害科学国際研究所の今村文彦所長に参加していただきました。
被災直後の厳しい状況の中、佐藤町長や町民はその時々に何を思い、どのように取り組んできたのか。そして、今後やらなければならないことは何か。今村文彦所長とともにお話ししていただきました。
聞き手は、世界防災フォーラム代表理事としてWORLD BOSAI WALK TOHOKU+10に参加する東北大学災害科学国際研究所の小野裕一教授です。

東北大学災害科学国際研究所 小野裕一教授

震災当時で思い出すこと

佐藤町長:
震災発生から数日後、災害対策本部を置いていた町の総合体育館に今村先生が訪ねて来られた。
先生は、「ずっと地震・津波の専門家として取り組んできたが、今回の津波や被害の大きさを予測できず申し訳ない」と言われた。改めて先生のお人柄を思うとともに、今回の震災は専門家でも想定が難しいような規模であったことを受け止めた。
復興計画は10年後を目指してつくったが、山を削って低い土地をかさ上げするためには、かなり長い時間が必要だということを今になって改めて感じる。

今村所長:
南三陸は、明治・昭和の三陸地震、チリ地震で津波被害の経験を繰り返してきた。地元の方だけでなく、ビジターや釣り客も避難できる防災まちづくりを進めてきた。震災の1年前にも防災シンポジウムを開催しており、防災意識が高く、活動も進んでいる地域だった。
被災状況を見て足がすくみ、言葉がなかった。専門家としても想定を上回る大きさであり災害を防ぐ難しさを痛感した。訓練をやってきたが、あの東日本大震災に対しては十分でなかったことをお詫びした。
震災から11年が経過したが、二度とこのような災害を繰り返さないことが目標である。

南三陸町 佐藤仁町長

佐藤町長:
震災翌日の避難所には1万人が避難しており、各々3食分の3万食をどう手当てするかが大きな問題だった。
以前に聴いた中越地震経験者の方の講演で「マスコミと上手く付き合うことが大切」というポイントを思い出した。南三陸町は、北は気仙沼、南は石巻に挟まれた小さな町であり、大きな市に隠れて埋没しないためにも積極的に情報発信することにした。
震災翌日の3月12日にはそばにいる4人の職員と記者会見をセットした。その後は毎日午後3時に会見を行った。おかげで周辺から支援物資などが集まり、メディアの力は非常に大きいと思った。
役場も流され、我々は着の身着のままで、食料もお金も一切無かった。物資を手に入れるため、職員を内陸部に出向かせ、物資を購入させたが、その際にわら半紙に「この者は南三陸町役場職員である」と殴り書きした職員証明書を職員に持たせた。掛け売りでも売ってくれた店もあった。その時に職員が最初に購入してきた物は赤ちゃん用のミルクだった。まず乳幼児の支援を考えて行動した職員を大変褒めたことを覚えている。

今村所長:
災害時はもちろん、通常時においても情報発信は大切である。組織のトップがわかりやすく情報発信することによって詳しい状況が伝わる。
今回の震災では個人のボランティアも集まったが、企業や団体の支援が多かった。町長が町の状況をリアルタイムに、わかりやすく伝えたことが大きいのではないか。

東北大学災害科学国際研究所 今村文彦所長

これまでの取り組みを振り返って、そしてこれから

佐藤町長:
震災の翌月に決めた高台移転は、町が進めてきた復興計画の一丁目一番地である。このために一週間に23回以上の住民説明を行った。過去に4回の津波被害を受けて、その度に貴重な財産と命を失った経験から、高台移転への反対者は一人もいなかった。
移転事業が完了し、皆さんは既に高台に住んでいる。津波注意報が出されても避難指示を出さないのは県内で南三陸町だけである。過去の経験によって、津波注意報が出る度に荷物をもって高台に避難する必要のない日常を手に入れた。

今やるべきことは、復興事業の完遂が一番の目標であり、今年度中には達成できる。
メモリアル施設として建設中の伝承館が10月にオープンする予定。これは被災後に支援していただいた方へ「感謝を伝える場」。もう一つは「防災を考える場」として位置づけている。
震災経験者90人以上にインタビューを行い、各々の被災経験を一つのストーリーにまとめた。動画の場面毎に「あなたならどうする?」と問いかけ、自分の頭で防災行動を考えるラーニングプログラムになっているのが特徴。
南三陸だけではなく、自然災害はどこにでも起きる。防災について自ら考え、今後は自治体と住民が事前復興として災害後の姿を議論しておくことが大切である。

今村所長:
これからは伝承と防災教育が大切になる。
当時の経験を記録に残し、“観る・知る場”をつくることが大事。
ただし、記憶はどうしても薄まってしまうので行動にはつながらない。日常生活がある中ではやむを得ないことである。
もっと丁寧に伝えることにより、それが“驚き”、“気づき”につながり、いずれは行動につながる。このようなプロセスを大事にした伝承が必要と考える。
東日本大震災の経験から伝えられた情報によって、高知県が事前復興まちづくり計画を策定したところである。

佐藤町長:
まちが復興するためには、行政だけではなく、民間も含めた総合力が必要。厳しい被災状況の中ではあったが、震災の翌月に商業者の皆さんが復興市を開催した。民間の頑張りがあった。復興市には避難で町外に出ていた人たちが集まり、安否確認の場になった。5月末には遂に第100回を迎える。
また、様々なチャレンジによってまちの姿が変わろうとしている。持続可能な林業を進めるために林業者の皆さんが国際認証を取得した。漁業は、カキの養殖いかだが津波で流出する大きな被害を受けたが、環境にやさしい養殖も国際認証された。3.11で先送りしていた志津川湾のラムサール条約を再申請し、登録を受けた。今後はこのような持続可能なまちづくりを全国、世界に発信していきたい。

最後に、震災後に支援をいただいたことに対し、ずっと感謝を伝えていくことが町の行政と町民の使命だと思う。

~第一部「復興10年を振り返って」南三陸町佐藤仁町長インタビューを聴いて~

震災後すぐに体育館に災害対策本部を構え、数少ない職員の方々とともに復旧対応にあたった当時の切迫した状況、「町を何とかしなければ」という町や町民の皆さんの強い思いが伝わりました。また、東北で長い間防災研究・活動に携わってこられた今村先生にとっても、津波被害の大きさへの驚きがあったようです。「このような災害を二度と繰り返したくない」、「この経験を広く伝えていかなければならない」という専門家としての強い思いを感じました。
震災後に決行した町長のマスコミ会見によって“丁寧な情報発信”がなされ、被災者の暮らしを助け、その後の企業や団体による支援活動にもつながったことは、今後の大きな教訓と言えます。
そして今、過去に4度の津波被害を経験した南三陸町が、二度と同じ被害を繰り返さないという強い思いで取り組んだ高台移転が完了しました。それは慣れ親しんできた町の姿を大きく変えましたが、これまで得られなかった毎日の安心した暮らしをもたらしました。また、被災経験を丁寧に伝える“伝承”と、自分たちで考える“防災教育”を取り込んだ伝承館の建設、商業・林業・漁業に携わる方々による持続可能なまちづくりの取り組みを始め、まちや人々に活気が戻りつつあります。
最後に、これまでも、そしてこれからも、復興への様々な支援を通じて思いを共有できたからこそ「ずっと忘れない」、佐藤町長と町民の皆さんの感謝の気持ちが、今後も続く復興活動の原点になり続けるでしょう。改めて、復興に向けての被災地の皆さんの強い思いに感動し、ずっと関心を持ち、また街を訪れたいという気持ちになりました。

●南三陸なうチャンネル「南三陸公式」にて、詳しいインタビュー動画が見られます。
ぜひ以下のURLをクリックしてご覧ください。
https://www.youtube.com/watch?v=SA5gCcppXY4

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