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2017.12.11

釜石復興の槌音の中で

写真家 浅井愼平×パシフィックコンサルタンツ代表取締役社長 高木茂知

写真家の浅井愼平氏とパシフィックコンサルタンツの関係は、岩手県釜石市の復興への取り組みがきっかけだった。そこには企業とアーティストと立場こそ違え、東北の復興、日本の地域活性化に関心を持ち続けているという共通点があった。両者のコラボレーションがこれからどう展開していくのか、対談から見えてきたものとは…。

撮影:浅井 愼平

まちづくりのために 地域社会との対話力を高める

(左)写真家 浅井愼平、(右)パシフィックコンサルタンツ代表取締役社長 高木茂知

高木: 弊社は釜石市と地域産業震災復興コーディネート支援協定を結んでいます。一方で浅井さんも製鉄とラグビーのまち、釜石の復興に強い関心をもたれていますね。昨年3月には浅井さんにご来社いただいて、弊社とのコラボレーションについてお話を進めていくことになり、5月には浅井さん、野田武則・釜石市長、重永取締役と私の4人で座談会も実施しました。今回はあらためて浅井さんと、釜石復興を軸にしながら、これからの日本の建設文化、さらに建設コンサルタント会社のあり方について議論したいと思います。

高木: そもそも、弊社と釜石市とのつながりは、震災後のがれき処理プロジェクトをPMC(プロジェクト・マネジメント・コンサルティング)としてお手伝いしたことから始まっています。推計80万トンにも及ぶ震災がれきを、できるだけリサイクルして、資源へと変えるプロジェクト。それを進める中で、復興のまちづくりにもかかわるようになりました。これからの釜石がどんな魅力を発揮し、雇用や産業をどう育てていくのか、持続可能性のあるまちづくりを行政や市民と共に考えていくわけです。
わけです。私たちがまちづくりを考えるとき、まず重要なのは合理性です。公共事業ですからコストを抑えて、かつ効果を生まなければなりません。同時に、誰か一人のための事業ではなく、さまざまな利害をかかえる市民のための事業ですから、計画の中に多様性を確保することも大切です。ただ、最近私が強く思うのは果たしてそれだけでいいのだろうか、ということです。
私は地域づくりには、感性が必要なんじゃないかという気がしているんです。感性を抜きにしてしまうと、まちづくりが平板になってしまう。そのまちで生活している人が幸せな表情をしている。それが外から人を呼び込む。数値では見えないことがあるんじゃないかと。そこで感性を日頃のお仕事のなかで重視されている写真家の浅井さんに、お話を伺いたいと思ったわけです。

浅井: 僕も釜石のほかいくつかの被災地を訪ねましたが、それぞれのまちには震災の影響が影を落としていると同時に、そこから立ち直っていこうとするエネルギーも感じ取れました。震災は不幸なことではありますが、必ずしもネガティブにだけ考えず、これをチャンスとして新しいまちを作り出すことができる。がれき処理はプラスに向かうためには、避けて通れない仕事だったと思います。
現状をできるだけ率直に、色をつけずに、いいところも悪いところも見てみるということから始めましょう。釜石でまちの人たちと話をすると、その思いは復興で一致しているのだけれど、復興のイメージはそれぞれ違う。多様な現実があるわけです。ラグビーに例えると、準備万端整ったとはいかないけれども、すでにキックオフの笛は鳴っている。フォーメーションをどうするか、誰にパスをしたらいいのか、プレイヤー自身が迷いながらも走り出している状態。そうした混沌とした現実に向き合う中から、市民の中から優れたリーダーが生まれてくると思うし、パシフィックコンサルタンツがそれを手助けするのは大変よいことだと思います。
幸いにも釜石には、製鉄、ラグビー、東北の良港などシンボリックなイメージがあって、全国的に知られているまちです。それらはうまく活用すれば復興のシンボルになるはずです。

まちづくりで大切なポイントは過去を知り、未来をつくること

撮影:浅井 愼平

釜石が悲惨な災害から立ち直るプロセスのなかに、人が幸せになっていくプロセスを見つけたい—浅井

高木: 2019年のラグビーW杯のための競技場づくりも、復興の動きを大きく後押ししてくれると思います。復興には何年もの時間がかかります。そこで重要なのは、その計画や進捗状況を地域外の人が関心をもって見守ってくれること。地域外の人に注目され、期待されていると分かれば、復興の直接的な担い手たちの励みになりますし、なにより復興事業にかかわることが楽しくなる。そういう意味でこれから浅井さんには、浅井さんの感性で捉えたこれからの釜石を、写真を通して発信し続けていただければ、日本中いや世界中の人々の関心を持続できると思うんです。

浅井: 今回の震災では、その爪痕を記録するというような仕事を僕はしませんでした。膨大な記録写真が残されたのだから、僕が行かなくても十分です。ただ、今回のパシフィックコンサルタンツとのコラボレーションは、爪痕や惨状を記録するのではなく、未来を考える仕事だと思ったのでお引き受けしました。
過去を知り、未来をつくること。これはまちづくりではとても大切なポイントだと思うんです。自分たちのためではなく、自分たちの子供や孫、後から来る人のためのまちづくり。将来、こんなまちがあったらどんなにいいだろうかと想像しながら、まちをつくる。道路や建物などのインフラを復旧することも大切だけれど、それだけで終わるのだったら、単なる経済的復旧で、それだけでは人々は幸せになれない。つまりインフラの整備が新しい文化の創造につながっていく必要があると思うんです。
が世界を旅していていいなと思う瞬間は、例えば路地裏で遊ぶ子どもたちの笑顔に出会ったとき。そこに住んでいる人たちが幸せであることが、旅人をいちばん和ませてくれます。地味なことだけれど、将来の住民の幸せについて心を配るということが、施設一つ作るにしても、重要なコンセプトになっていく。釜石が悲惨な災害から一つひとつ立ち直っていくプロセスのなかに、僕は人間の復興、人が幸せになっていくプロセスを見つけたいですね。

社会サービスプロバイダとして私たちが果たす役割

高木: 浅井さんの言葉には勇気づけられます。弊社は、中期経営方針の中で、「社会の変化の先にはいつもパシフィックコンサルタンツがいる」というメッセージを添えています。企業としてのこれからの方向性を「未来プロデューサー」「社会サービスプロバイダ」という言葉でも表現しています。
私たちの会社は終戦直後、がれきと化した日本をどう再建していくのか、戦後復興にかかわる中から生まれました。事業はこれまでは構造物やインフラづくりが中心でしたが、それは突き詰めれば社会サービスを提供するための基盤づくりだという自負が私たちにはありました。ただ、土木構造物を作っただけでは地域のまちづくりはできない、という思いも最近は強くしています。エネルギーや水の供給、公共施設の維持管理、教育や医療などの社会サービスをどう実現するか、というところまで考えないと、これからの時代には建設コンサルタントとして十分な役割が果たせない。そのために、自ら地域活性化に直接かかわる社会サービスプロバイダになろうと決意し、いまはそのノウハウを蓄えているところです。
釜石の新しいラグビー場一つとっても、多目的型がいいのか専用型がいいのか、さまざまな議論があるなか、私たちも当事者の一人として、将来の釜石の文化を創造するという視点でその議論に関わり、責任ある立場で計画を進めたいと考えています。

浅井: 僕は多目的型の競技場には反対ですけどね(笑)。何にでも使えるというのは一見合理的だけれど、長い目でみるとスポーツの振興にはつながらない。専用のスタジアムをスポーツクラブのような市民組織が支える、欧州型のスポーツ運営を日本ももっと学ぶ必要があると思います。最初からラグビーもトラック競技も、コンサートも開けるようにする、というんじゃなくて、世界に誇れ、市民が愛するラグビー専用スタジアムだからこそ、そこでコンサートをやると人々は熱狂する、というように逆の発想をしたほうがいい。釜石におけるラグビー場の建設は、スポーツと市民の関係をどうつくるのか、その象徴的な場所になると思っています。

地域マネジメントのノウハウは 全国で活かせる

撮影:佐佐木 剛

高木: 阪神淡路の大震災のときは、私も一人の技術者として大きなショックを受けました。いわば、自分たちがやっていたことのすべてを地震がなぎ倒してしまった、そういう衝撃だったんです。東日本大震災でも当初はそういう思いがありましたが、かかわるなかで、このまちをどうしたらいいのかと前向きに考えるようになりました。震災以前から釜石は人口流出、高齢化、商店街のシャッター化などさまざまな問題を抱えていました。復興とはつまり地域の未来をマネジメントすることでもある、と今は考えています。
もちろん私たち一社だけでできる仕事ではない。行政と役割を分担し、他企業とも連携しながらプロジェクト型で進めていきます。人口減、商店街の疲弊、地場産業の衰退といった課題は、釜石だけでなく、また被災地だけでもなく、日本全国の地域が同様の問題を抱えています。私たちが釜石のプロジェクトを通して、地域マネジメントのノウハウを身につけることで、他の地域のお役に立てるんじゃないかと思うのです。
地域活性化のためには、やはり企業としての経済合理性、技術者の論理だけでなく、芸術家の感性も併せ持ちたいものです。今回、あらためて浅井さんとお話をし、やはりアーティストは発想が違うなと感じ入りました。ぜひこれからも勉強させていただきたい。

浅井: パシフィックコンサルタンツが日本の戦後復興にかかわった会社であるというのは、存じ上げませんでした。建物を建てまちをつくるのにゼネコンや施工業者がいることは知っていましたが、実は建設コンサルタントという役割が重要であることも、今回のおつきあいを通して初めて知ったことです。
パシフィックコンサルタンツはやはり、戦後復興を通して日本の文化をつくってきた会社だと思います。東日本大震災を第二の戦後という人もいて、明治以降の日本の文化のありようを大きく変えていく機会だと私も思います。社会が未来に向けて大きく変わるからこそ、震災にも意味がある。そういうときにささやかなお手伝いができるのは嬉しいことです。

「釜石市の復興、そしてこれから」 2015年5月27日 釜石市長との対談

釜石市の復興に取り組む野田武則釜石市長を囲んだ座談会には、写真家の浅井愼平氏、パシフィックコンサルタンツから高木社長と重永智之取締役が参加。
被災からこれまでの取り組みについて、「復興計画、防波堤、防潮堤などピンチをチャンスにして、釜石市を新しいまちにと考えて実行してきた」と市長。浅井氏は「目指すべきまちのありようをメッセージすることが重要」と指摘。高木社長は「釜石市が常に注目され続ける仕組みが必要」と課題を挙げ、更なる復興への取り組みを期した。

浅井 愼平(左)
あさい しんぺい●写真家。1937年愛知県瀬戸市生まれ。早稲田大学政治経済学部中退。在学中は映画研究会に所属。1965年日本広告写真家協会受賞後、1966年写真集「ビートルズ東京」でメジャーデビュー。写真に留まらず表現分野は、映画制作、文芸工芸、音楽プロデュース等、幅広く活躍。

高木茂知(右)
たかき しげのり ●愛知県出身。1979年 パシフィックコンサルタンツ入社。2014年より同社代表取締役社長

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