1995

阪神高速道路震災復旧設計

阪神高速道路震災復旧設計

不幸を教訓に、新しい高速道路が一歩を踏み出す

世界中に衝撃を与えた大震災

1995年1月17日、午前5時46分52秒、兵庫県南部を中心にマグニチュード7.3、震度7の大地震が発生しました。被害は兵庫県南東部、東播磨地方中南部、姫路市、大阪府豊中市を中心に近畿圏広域に及び、その状況は国内のみならず世界中に衝撃を与えました。世に言う阪神・淡路大震災です。
被害は想像を絶するものでしたが、特に阪神高速道路3号神戸線の倒壊は、震災の凄まじさを物語るものでした。その様子は世界中の新聞の一面に掲載され、大きなインパクトを与えたのでした。

緊急対策本部、都市防災チーム、そして震災復興部

この地震で、「関東大震災レベルの地震が来ても大丈夫」と言われていた高速道路の安全神話は崩れ去りました。その代わりに、災害時の危機管理の重要性がクローズアップされることになります。
パシフィックコンサルタンツは、震災発生のその日に社内に緊急対策本部を設置し、都市防災チームを倒壊現場に派遣。現地で収集、把握した情報を基に、数日後に震災復興部を発足しました。この迅速な動きで関係者からの救援要請に即座に応えられる体制が構築され、阪神高速道路3号神戸線の早期の復興に尽力できることになりました。

大幅に早い全面復興。より強く、環境にも優しく

調査では、柱が折れてそのまま横倒しとなった高速道路もあれば、橋脚と道路面の接合部分が地震によって破壊され"路面が、柱の上に乗っているだけ"という状態となった高速道路もあることが確認されました。「倒壊する直前、高速道路が波打っていた」という目撃証言、そしてその実際の映像も報道番組で報じられ、建造物の様々な弱点が白日の下にさらされました。
パシフィックコンサルタンツは、直後の緊急安全対策として、倒壊、落橋、崩壊した瓦礫の撤去に対する方策を検討し、損傷構造物には支保工の設置、鉄板の巻き立て、桁連結の設置などの応急対策を立案しました。さらに、予想を上回る災害が発生した時にも持ちこたえられるだけの強靭さを発揮する設計、技術、工法を模索しながら、全力で復旧作業を推進。1996年9月30日、阪神高速道路3号神戸線の全面復旧を実現させるのです。それは当初の予定よりも大幅に早い全線復興で、より強くて環境に優しい新阪神高速道路3号神戸線が誕生した瞬間でした。

プラス1

その時、時代は!

阪神・淡路大震災で阪神高速道路が受けた被害は、高架橋の倒壊1ヵ所、落橋5ヵ所。それらを含めた全被害個所は300。震災直後は全区間通行止めとなり、震災後2日目から順に応急復旧が始まった。
ちなみに阪神高速道路3号神戸線とは、大阪市西区の16号大阪港線分岐地点から神戸市須磨区の第二神明道路へ至る路線。阪神高速道路3号神戸線が倒壊している写真は、災害当時の被害の大きさを表すものとして最も有名なものの一つである。
この大震災を良き教訓として、その後、建造物を建てたりする際には、耐震性を考慮した耐震設計の流れが広まる。高架構造になっている高速道路や一般道路、鉄道などの橋脚の構造上の脆弱さが広く指摘され、行政主導のもとで補強工事が施工されていった。