1993

横浜みなとみらい21中央地区整地基本設計

1993年 横浜みなとみらい21中央地区整地基本設計

都市景観100選を受賞する、美しい都市の誕生にむけて

21世紀にふさわしい未来型都市を

横浜市の西区と中区に広がる東京湾に接する地域、横浜みなとみらい21。ウォーターフロントの特徴を活かし、国際的なビジネスや文化などを育んだ街づくりが活発に行われているエリアです。基本的方針に基づいて計画的に整備が進められ、電線や光ファイバーは、共同溝の中に上下水道などと一緒に埋設。さらに効率的なごみ収集、地域冷暖房の導入で、省エネにも配慮されています。また全ての通りには街路樹が植えられ、建物は白を基調に統一するなど、21世紀にふさわしい未来型都市として開発が進められています。

期待に応えるため、中心エリアの設計に力を

以前このエリアは、三菱重工横浜造船所、国鉄高島線の操車場、東横浜駅、高島埠頭などが集中する日本の代表的な国際港湾都市でした。しかし、世界各国が港湾の整備に着手する中、ここにおいても時代をにらんだ大々的な都市再生が望まれることになりました。そこで計画されたのが、横浜みなとみらい21計画です。
このプロジェクトに対する周囲の期待はとても大きく、186haにおよぶエリアには、商業施設、劇場、テーマパーク、オフィス、ホテル、公園、文化・スポーツ施設、病院、その他様々な施設の誘致、建設計画が持ち上がりました。そしてこの計画の中心となる中央地区の整地基本設計を担当したのが、パシフィックコンサルタンツ。1993年のことでした。186haのうち76haが埋立地という横浜みなとみらい21。基本となる重要な設計に、技術とノウハウを注ぎ込むことになったのです。

24時間活動する、21世紀の水と緑と歴史の都市

以降、横浜みなとみらい21中央地区は、「24時間活動する国際文化都市」「21世紀の情報都市」「水と緑と歴史に囲まれた人間環境都市」という都市像の実現をめざして地区計画・整備が進められました。ビジネスゾーン、プロムナードゾーン、インターナショナルゾーン、商業ゾーン、そしてウォーターフロントゾーンと呼ばれる地域が、あるところでは重なりあい、あるところではコントラストを醸しながら、美しい都市を創り上げていったのです。
横浜みなとみらい21は、1997年には、都市景観100選を受賞。2004年には"みなとみらい21線の駅のデザイン"で、2006年には"横浜市の一連の都市デザイン"で、建築・環境デザイン部門のグッドデザイン賞を受賞しています。

プラス1

その時、時代は!

1965年に横浜市の6大事業の一つとして構想が出て以来、進化し続ける横浜みなとみらい21。事業に着工したのは1983年のこと。パシフィックコンサルタンツが中央地区整地基本設計を担当した1993年には「横浜ランドマークタワー」、「横浜ロイヤルパークホテルニッコー」が開業している。その後、2013年のエリア最大級の商業施設がオープンすることで、一応のプロジェクト完了をみる。
「横浜みなとみらい21」の名称は、一般公募されたおよそ2,300点の中から選ばれた。"みなと横浜"をイメージするとともに、「未来への発展をめざす21世紀の横浜にふさわしい」というのがその理由だ。最後まで争ったのは「赤い靴シティ」。現在では首都圏の観光地、行楽地としても人気を博し、毎年多くの訪街者を迎えている。