1976

関越自動車道関越トンネル詳細設計

1976年 関越自動車道関越トンネル詳細設計

日本海新時代へ、技術のハードルへの挑戦

安全と時間短縮のために、谷川岳を一直線に貫通

首都圏と日本海側を結ぶ高速交通網として、重要な機能を持つ関越自動車道。東京都練馬区から埼玉県、群馬県を経由して、新潟県長岡市に至ります。その路線基準が定められたのは1963年で、その3年後に国土開発幹線自動車道の予定路線に認定。1985年に、一部区間で暫定対面通行を残しながらも、一応の全線開通を見ます。
そんな関越自動車道の新潟県と群馬県の県境付近では、かつて谷川岳付近を迂回するルートがとられていました。当時は、国道117号の狭い峠道を行き交うトラックがスピードも出せずにノロノロ運転。特に冬にはチェーン装着のために、ドライバーは大きな手間暇をかけていたのです。
そんな状態を打破するために計画されたのが、関越トンネルプロジェクトでした。谷川岳の標高700m付近を最短ルートで一直線に貫き、安全でスピーディな道を通そうというのです。そしてその詳細設計が、道路の長大トンネルを昔から数多く手がけていたパシフィックコンサルタンツに託されたのです。

様々な問題点を、最新技術を駆使して解決

全長およそ11kmにもおよぶトンネルの設計・工事です。特殊な環境下で考慮しなければならない問題は山のようにありました。換気システムをどうするのか、資材はどのように運搬するのか、発破はどのようにかけるのか、湧き水や地圧が解放されて岩が跳ねてくる"山はね"にはどう対処するのか、などなど。それらすべてにじっくりと検討が重ねられ、立坑と電気集塵機による「縦流換気方式」、ヘリコプターでの資材運搬、立坑の下から掘り上がっていく「アリマッククライマ工法」、切羽にロックボルトを打設して"山はね"に対応する方法などが決められたのです。特に実際の掘削法は常識を越えたものでした。採用したのは、全断面掘削工法。この工法でこれほど長いトンネルを掘ること自体が、とても画期的なことでした。

雪国に暮らす人々の生活が大きく変化

こうして、およそ630億円の費用をかけた工事は1985年に終了し、暫定開通を迎えます。関越トンネルの完成で、峠越えの交通所要時間は1時間以上も短縮。また豪雪に阻まれることもなく、一年中越後と首都圏とを行き来することができるようになりました。
急峻な谷川岳を貫く日本最長の道路トンネルは、東西の物流、人の行き来を飛躍的に伸ばしました。安全性を徹底追求し、世界屈指の設備を誇る関越トンネルがもたらしたものは、雪国に暮らす人々の生活の大きな変化。パシフィックコンサルタンツの技術が、まさに日本海新時代の幕を開いたのです。

プラス1

その時、時代は!

山が連なる地形で磨かれた日本のトンネル技術のレベルは、世界に抜きんでたもの。その全てを注ぎ込んで完成したのが、この関越トンネルである。
トンネルは、掘ってみないとわからない。この山、この地形、この自然をどのように分析、診断して、いかに安全に掘るかという点で、実際に着工してみないと分からない部分が少なくないのである。だから、外から見ただけで判断するのは危険。最新技術の導入に加えて、過去の経験を上手く活かすことが重要となってくる。「日本の長大道路トンネルのベスト10のほとんどに絡んでいる」といっていいほどの、パシフィックコンサルタンツのトンネルに関する経験。関越トンネルのケースでは、それが最先端技術と融合して、当時の土木技術者の注目を集める一大プロジェクトとなったのである。