1971

種子島宇宙センター大崎射場設計

1971年 種子島宇宙センター大崎射場設計

人類の暮らしを豊かにするための、宇宙への道

日本の、世界一美しいロケット基地

小惑星イトカワから微粒子を持ち帰った探査機「はやぶさ」が話題を呼んだ。宇宙に対する人々の意識も高まるばかりですが、「世界一美しいロケット基地」と言われている施設が日本にあります。それは、種子島宇宙センター。はやぶさを打ち上げた内之浦宇宙空間観測所とともに、日本国内のロケット打ち上げ施設の双璧です。
世界一美しいと謳われるのは、広大な原野に発射台等を点在させるのが世界で一般的な中、種子島宇宙センターは緑の山の中に施設が散らばり、発射台はサンゴ礁に囲まれた岬の先に海岸線に面して置かれてあるから。その景色の素晴らしさを称え、「世界一美しいロケット基地」と言われているのです。

実用ロケット打ち上げのために技術を

そんな種子島宇宙センターの中にあり、実用ロケットの打ち上げを目的として開設されたのが『大崎射場』です。当センターの中核施設であり、NASDA(宇宙開発事業団)初の実用ロケットであるN-1ロケット以降、デルタロケットを基本としたロケットはここで打ち上げられました。そして、その大崎射場の設計を行ったのが、パシフィックコンサルタンツ。1971年のことでした。
大崎射場からは、気象衛星「ひまわり」をはじめ、数多くの人工衛星が大型ロケットに搭載されて宇宙に旅立っていきます。通信、地球観測、気象、科学、生物、航行など、様々に分類され、独自の役割を担った人工衛星がここから出発し、人々に大きな恩恵をもたらしてくれます。パシフィックコンサルタンツは、そんな一大プロジェクトに大きな使命感を抱き、美しい自然と調和する施設をイメージして設計を進めていきました。

未来への架け橋、宇宙への想い

人工衛星は、人類にとって今や欠かすことのできない存在です。災害監視、医療福祉、教育、交通システムなど、私たちは人工衛星を意識することなしに人工衛星からの貴重なデータを活用しています。このような宇宙のインフラは、今後ますます進んでいくことでしょう。また天文観測や惑星探査によって、私たちに数々の新しい感動をもたらしてくれます。ロケットは、地球と宇宙を結ぶ重要な輸送手段です。そして、現在と未来とを繋ぐ貴重な架け橋でもあるのです。
人類の豊かな生活のために、そして広がる宇宙への夢と想いのために、パシフィックコンサルタンツの技術は、今も世界で一番美しいロケット基地で活かされ続けています。

プラス1

その時、時代は!

種子島宇宙センターが開設されたのは、1969年。JAXA(宇宙航空研究開発機構)の前身であるNASDA(宇宙開発事業団)の設立と時を同じくする。実はロケットの打ち上げに関しては、赤道に近い場所ほど打ち上げが上手くいく。しかし種子島は日本最南端ではない。ではなぜここに作られたのか? それは、1969年といえば種子島よりも南にある小笠原諸島が返還されたばかりで、沖縄はまだ返還のメドがたっていなかったからである。宇宙センター開設の計画が立てられた当時、日本の主権が充分に及ぶ最南端エリアは種子島だった。そこでこの美しい島に、科学、技術の粋を集めた施設を作ることになったのである。
ちなみに、小笠原諸島は種子島から打ち上げられたロケットの追跡に都合が良いことから、父島にロケット追跡施設が設置されている。