1968

宮の森ジャンプ場設計・管理

宮の森ジャンプ場設計・管理

アジア初の冬季五輪、日の丸飛行隊を見守った競技場

金、銀、銅メダル獲得の舞台は

1972年、札幌で冬季オリンピックが開催されました。IOC(国際オリンピック委員会)の総会で開催地として決定されたのが1966年。6年の準備期間を経て、アジア初の冬季オリンピックが日本で開催されたのです。
この大会で日本にとって圧巻だったのは、“70m級ジャンプ競技での日本人ジャンパーの表彰台独占”でした。金メダル、笠谷幸生選手。銀メダル、青地清二選手。銅メダル、金野昭次選手。後に日本のジャンプ陣が「日の丸飛行隊」と呼ばれるゆえんとなった見事なジャンプでした。日本人では、1956年のイタリアでの冬季オリンピックで、猪谷千春選手が回転競技で銀メダルを獲得して以来の快挙です。しかも札幌オリンピックでのメダルはこの70m級ジャンプ競技の3つだけだったために、興奮は最高潮に。その舞台となったのが、パシフィックコンサルタンツが設計・管理を担当した「宮の森ジャンプ場」でした。

競技環境の素晴らしさの象徴として

札幌オリンピックで使用するジャンプ競技場は、当初、大倉山ジャンプ競技場を改修し、70m級と90m級を併設する計画でした。しかし大倉山の敷地が狭くそれに対応できなかったために、宮の森(旧十二軒沢)に新設することに決定。1968年、パシフィックコンサルタンツが設計を行い、プレオリンピック直前の1970年に完成しました。
競技場は、アプローチ(助走路)が103m、ランディングバーン(着地斜面)が146.91m、ブレーキングトラック(減速区間)が94.4mで、K点(ジャンプ台の建築基準点で、ここから着地滑走路の傾斜曲率が変化。札幌オリンピック当時は“危険点”という意味も)が86m。総事業費3億9,500万円のノーマルヒルジャンプ台で、観客数およそ3万人を収容することが可能です。完成時には、市街地のすぐ近くに大ジャンプ台が存在するという札幌の素晴らしい競技環境を世界に示す建造物として、大きな存在感を示したのです。

今も、冬だけでなく夏にも人気の観光スポット

日本人の表彰台独占で、その後長く語り継がれることになった宮の森ジャンプ競技場。今でも札幌オリンピックを記念した国際スキージャンプ大会、夏のサマージャンプ大会などの多くの競技会が開催されています。大きな感動を呼んだジャンプ台は、冬はもちろん、夏に北海道を訪れる観光客にも人気の名所となっているのです

プラス1

その時、時代は!

札幌オリンピックは、札幌を広く世界に知らしめた。メダルは日の丸飛行隊の3個にとどまったが、“美しい国・日本にある美しい街・札幌”を強く印象付けた。そのことに着目した三菱自動車工業が北米大陸で「sapporo」という車種を売り出したほど(日本名はギャランΛ)だ。
また、オリンピック関連事業はこの世界的積雪都市のインフラ整備にも大きな貢献を果たし、地下鉄の開通や地下街の建設、市街地の近代化などが実現した。冬季スポーツ用施設が充実したことにより、札幌がアジアにおける冬季競技の拠点としての地位を獲得したのも、この冬季オリンピックがきっかけである。
ちなみに、「銀盤の妖精」「札幌の恋人」と呼ばれたフィギュアスケートのジャネット・リンが、日本中で大人気となったことを覚えている人も多いだろう。