1963

東名高速道路道路設計・構造物設計

東名高速道路道路設計・構造物設計

日本の大動脈を完成させるプロジェクトに、有終の美を

レジャーやビジネス、運輸・輸送が大きく変わる!

「東京―神戸」間の高速道路の建設が決まり、ルートの最終調整を終えて東名高速道路が着工を見たのは1965年のことでした。政府が最初に構想した7本の高速道路案では、「東京―名古屋」間は中央道ルート。現在JR東海が計画しているリニア新幹線と同じ"山梨県から南アルプスを貫き名古屋へ向かう"という最短距離コースでした。しかし、静岡県を通る海岸ルートの支持も強く、南アルプス貫通の技術的難しさもあって、最終的には東海道を基盤とするコースに落ち着いたのでした。
これが完成すると、名神高速道路とつながり日本の大動脈が出現するとともに、首都高速道路ともリンクします。レジャーやビジネスに新しい需要を、運輸・輸送に大きな構造変化をもたらすものとして、期待は日増しに高まったのです。

"日本初"を支えた技術がここでも活躍

パシフィックコンサルタンツは、そんな東名高速道路のルートが最終調整に入っていた1963年頃、多くの道路設計および構造物設計に関わりました。
世田谷区の東京ICから神奈川県、静岡県を経由して愛知県の小牧ICを結ぶルートは、山あり谷あり、海岸線あり、大都市近郊も通過するコース。それに加えて雨天、降雪、濃霧、台風、近隣の環境など、多くを考え合わせてプロジェクトを進行しなければなりません。パシフィックコンサルタンツは日本初の高速道路・名神高速道路の時に注ぎ込んだ技術・ノウハウを活かして、およそ350kmにも及ぶ高速道路の設計を進めていきました。そして、1968年に「東京IC―厚木IC」、「富士IC―静岡IC」、「岡崎IC―小牧IC」が開通したのを皮切りに、1969年、ついに全線が開通したのです。

高まる存在価値。生き続ける注がれた技術と想い

東名高速道路は、1964年開通の東海道新幹線、1965年開通の名神高速道路とともに、東京―大阪を結ぶ主要幹線となりました。レジャーでの利用はもちろん、貨物輸送の利用率はとても高く、陸運貨物では鉄道を超える実力です。
毎年行われる「東名集中工事」で常にリフレッシュを繰り返す東名高速道路。サービスエリアの充実などで最近では"東名高速道路そのものを楽しむ"人も増え、ますますその存在価値を高めています。多くの人々に利用される東名高速道路。ここに注がれたパシフィックコンサルタンツの技術は、これからも生き続けていくでしょう。

プラス1

その時、時代は!

東名高速道路が完成するまでは、貨物輸送は鉄道によるものが中心だった。引っ越しや学生の帰省など、荷物はチッキと呼ばれる"鉄道による託送手荷物"で送るのが一般的だった。その後のトラック運送の発展は周知の通りだが、もし東名高速道路がなければ、現在のようなトラック運送の隆盛はなかっただろう。
なお、「高速道路」という呼称を使用しているのは、現在では東名高速道路と名神高速道路だけである。他は、東北自動車道や関越自動車道のように「自動車道」が使われている。これは、日本初の高速道路、重要路線の高速道路として東名と名神が大きく注目されたために"高速道路"という呼び方が広く行き渡ったため。正式名称は、東名高速道路は「高速自動車国道第一東海自動車道」、名神高速道路は「高速自動車国道中央自動車道西宮線」である。