パシフィックコンサルタンツを創った人々

パシフィックコンサルタンツ発展の礎となった先人達をご紹介。

フランク・ロイド・ライト

フランク・ロイド・ライト (1867~1959)

低迷を克服した近代建築の世界的巨匠

近代建築の三大巨匠の一人。モダニズムの流れをくみ、幾何学的な装飾と流れるような空間構成が特徴である。浮世絵の収集、親日家でも知られ、日本近代建築の発展にも寄与した。

アントニン・レーモンド

アントニン・レーモンド (1888~1976)

戦後の日本にモダニズムの理念に基づく秀作を多く残し
日本人建築家に大きな影響を与えた建築家

日本とアメリカで活躍した建築家。ボヘミア(現・チェコ)生まれ。第一次大戦終了後、F.L.ライトから帝国ホテル設計の日本行きを打診され、1919年、ライトと共に来日。
第2次世界大戦後の1947年に、ダム建設予定地の調査のため再度来日。米国法人パシフィック コンサルタンツ インコーポレーテッドを共同設立する。戦後の日本にモダニズムの理念に基づく秀作を多く残した。

白石 多士良

白石 多士良(Shiraishi tashiro)

不滅の名を残した土木建築学界の重鎮

白石多士良と白石宗城兄弟の伯父が、内閣総理大臣となった吉田茂。白石多士良の活躍は幅が広く、1921年に小松製作所の初代社長に就任し、1925年には永代橋の基礎工事に日本で初めて圧気潜函(ニューマティックケーソン)工法を用いている。また日本で最初のゴルフ教本を1931年(昭和6年)に執筆している。

平山 復二郎

平山 復二郎(Hirayama fukujiro)

日本に必要な技術士制度の実現に尽力

1912年東大土木卒(白石多士良は同期生)、鉄道院に入管し37年建設局長を退官。戦後はピーエスコンクリート、パシフィックコンサルタンツ社長、日本技術士会会長等を歴任。

河野 康雄(Kawano yasuo)

河野 康雄(Kawano yasuo)

日本コンサルタントの国際的地位を確立

1933年東大土木工学科卒、鉄道省に入省し、46年運輸省を退官。戦後はパシフィックコンサルタンツ社長、日本コンサルティング・エンジニヤ協会会長等を歴任。

白石 宗城(Shiraishi Muneki)

白石 宗城(Shiraishi Muneki)

白石多士良の弟である白石宗城(以下「宗城」)は、1951年(昭和26年)に米国法人パシフィックコンサルタンツ・インコーポレーテッドの副社長に就き、1954年(昭和29年)に日本法人パシフィックコンサルタンツ株式会社の会長に就きました。以降、社長そして再び会長に就き、1979年(昭和54年)に89歳で亡くなるまで、通算28年の間、パシフィックコンサルタンツの代表を務めました。